築約100年の古民家の隣に保管庫がある(右奥)
釜石市野田町在住の三浦勉さん(68)は、生まれ育った橋野町青ノ木の実家で、先祖代々受け継がれてきた生活用具や農林作業具を保管、希望者に公開している。世界遺産「橋野鉄鉱山」のお膝元で、地元住民が営んできた暮らしの一端を垣間見ることができる貴重な資料がそろう。
三浦さんによると、同家の先祖は1850(嘉永3)年生まれまでさかのぼることができ、少なくとも江戸時代後期には青ノ木に居住していたと見られる。長年林業をなりわいとし、育てた農作物で自給自足の生活を送っており、実家には江戸から昭和にかけての暮らしぶりを物語るさまざまな道具類が残されている。
鉄鉱山に関係する道具などを公開する三浦さん
中には、橋野鉄鉱山の作業風景が描かれた絵図に登場する道具も。地元で〝ちんぎり〟と呼ばれる「天秤(てんびん)ばかり」は、重りと均衡させて物の重さを量る道具で、絵図では鉄を量る様子が描かれている。
わらで厚く編まれた敷物(むしろ)は、失火などの際に水をかけて火元にかぶせ、炎の勢いを弱める役目があり、当時は「玄蕃(げんば)」と呼ばれた。絵図では、種焼場で鉄鉱石を砕く女性が敷いているほか、高炉の湯だし口で火の粉を抑えるのに使われている。火力の強い高炉では、わらに生昆布を編み込んだものが使われたという。
農具の「すくいみ」は、高炉への鉄鉱石投入にも使用。ブドウのつるで作られた背負い籠「こだす」は、鉄鉱石を入れて運ぶのにも使われた。高炉に風を効率よく送るための「ふいご」には、空気を漏らしにくく、脂で滑りやすいタヌキの毛皮が内部に使われているが、三浦家には親戚から譲り受けた同構造の箱型ふいごがある。
木の切り出しとともに炭焼きも行っていた同家。現在、これら資料を保管する建物は、農作業小屋のほか炭庫(地域の木炭集積場)にも使われていた。木炭を入れる「炭簾(すみすご)」はカヤを編んで作られるが、それを編む機織り的な道具もある。大のこぎり、木を削る「ちょうな」、木に線を引く「墨つぼ」など、きこり道具も。切り出した丸太を牛に引かせて運ぶそりも残る。
「高炉では木炭を使う。先祖がその木の切り出しに従事していた可能性もある」と三浦さん。
他にも豆腐を作る道具、鉄砲風呂のまきを燃やす鉄管、重い物を背負う時に着用した「背中当て」、穀物を殻やちりと分ける箕(み)や唐箕(とうみ)など、昔の生活に必要だったあらゆるものがあり興味深い。実家裏の畑地からは縄文、弥生時代の土器の破片も見つかっている。
保管庫には「むがすの暮す小屋」という看板を掲げる。三浦さんは「橋野鉄鉱山で使われたのと同じ道具がある。当時の鉄づくりや昭和30年代までの暮らしを知る一助になれば」と話す。見学希望者は三浦さんの携帯電話(090・9034・0306)に連絡を。