これまでの釜石復興の歩みを振り返り、新たな5年への糧としたオープンシティフォーラムのパネル討論
東日本大震災後の復旧・復興の歩みを振り返り、まちづくりの次のステップにつなげるイベント「釜石のこれまでと、これから。」が19~21日まで、釜石市内で行われた。民間、行政の10団体で組織する釜石シティプロモーション推進委員会(柏﨑龍太郎委員長)が主催。震災から5年にあたり、市民と協働で復興を支えてきた市内外の団体に感謝し、さらに絆を深めてもらおうと企画した。
19日、大町の情報交流センター釜石PITで開かれた「オープンシティフォーラム」では、震災後の釜石に深く関わってきた4人が「多様な主体による復興まちづくり」をテーマにパネル討論。釜石に住み支援活動を行う一般社団法人RCFマネジャーの山口里美さんが進行役を務め、5年間の復興への取り組みを振り返った。
市内外からの参加者が釜石のさらなる復興へ思いを共有した
釜石市は復興方針を固めるため、いち早く行動を起こした。専門家から被災地域再生の可能性を探り、土地利用など住民の考えを聴くワークショップを震災から間もない5、6月の段階で実施。多くの釜石復興プロジェクトをけん引する東北大大学院工学研究科の小野田泰明教授は「釜石の方針の早さは他の被災自治体にはなかったこと。国の動きを待たずに技術面の検証、民意の確認に着手した」と初動体制を評価した。
2011年6月から4年間、釜石市副市長として復興事業に携わった若崎正光さんは、湾口防波堤、防潮堤、グリーンベルトの多重防御でまちづくりの方向性を絞り込んでいった東部地区を例に挙げ、「住民からじっくり話を聴き、複数の選択肢から要望に沿う形で復興計画をまとめていった。被災21地区で細かい集会も重ねた。『急がば回れ』。合意形成には〝説得〟ではなく〝納得〟が必要」と実感を込めた。
釜石リージョナルコーディネーター(釜援隊)の制度設計にも貢献した公益社団法人中越防災安全推進機構震災アーカイブス・メモリアルセンター長の稲垣文彦さんは、住民と行政の調整役を担い、住民からまちづくりの主体意識を引き出す復興支援員の有用性を示し、04年に発生した新潟県中越地震の復興経験を基に主体形成のアドバイスを行った。
同地震から12年となる旧山古志村の現状を「人口は被災前に比べ半減したものの、交流人口が増え移住も始まっている」と説明。「共感を得る一番の原点は〝人〟。住む人が地域に誇りを持ってやっているかどうかだ。住民が主体的に動くには▽外部者との交流(交流の鏡効果で地域の良さを再確認)▽小さな成功体験▽共通体験―を繰り返すことが重要」とした。
討論後は、釜石復興に向けさまざまな活動を行ってきた市内外の16団体(企業、NPO、大学など)がこれまでの取り組みを発表。参加者約150人が理解を深め合い、今後の連携や継続的な活動へ意欲を新たにした。市内各所では釜石の産業、歴史、文化、食などを体験する20のプログラムが3日間展開され、参加者がまちの魅力や釜石の今を感じた。
(復興釜石新聞 2016年3月26日発行 第473号より)
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