運搬路跡に沿って登ると橋野鉄鉱山初期の露天掘り採掘場跡がある
釜石市は21日、ユネスコ世界文化遺産に登録された橋野町青ノ木の「橋野鉄鉱山・高炉跡」のうち一般には公開していない鉄鉱石採掘場跡と運搬路跡を報道関係者に公開した。同遺跡を構成する三つの資産のうち採掘場跡は日鉄鉱業(東京都千代田区)、運搬路跡は国の保有地で、保全や安全管理などの観点から非公開としてきたが、9月23日に初めて一般公開される。
同遺跡は「高炉場跡」「採掘場跡」「運搬路跡」の三つの資産で構成する。今回公開された二つの資産は、唯一公開されている高炉場跡から南にある大峰山(標高1147メートル)に向かい、二又沢川をたどるように運搬路跡、その上の標高約900メートル地点に採掘場跡などがある。橋野鉄鉱山インフォメーションセンターから約3キロの行程で、標高差は約350メートル。
橋野での鉄鉱石の採掘は、西洋式高炉で製鉄が始まった1858年から1970年代まで続いた。一般の立ち入りを禁じる鉄製の門扉をいくつか抜けながら登ると、幅約1・8メートルあったという運搬路跡が川の浅瀬、スギ林の間に延びていた。その先に新旧の採掘場跡が点在、時代の歩みを残す。
標高が高く、広葉樹林に囲まれた露天掘りの跡では土止めの石垣(高さ約2メートル)が組まれ、近くには鉄鉱石や鉱脈がむき出しになり、磁石が強く反応する。手掘りを行っていた半地下坑も見られた。火薬庫跡の石垣、比較的新しい遺構では、電動巻き上げ機で使ったトロッコの枕木、甲子町大橋の釜石鉱山や遠野市の佐比内に通じるという坑道の入り口(封鎖)、山道の跡もあった。
運搬路のルートは、比較的緩やかな傾斜を選んでいた。しかし、馬では対応できず、牛で運んだ様子が絵図に残る。足場の悪い採掘場付近では、鉄鉱石を破砕したうえで、人力で運ばざるを得ず、「危険が伴い、その労力は大変だったろう」(市の担当者)と想像される。
急峻(しゅん)な沢の採掘場跡、石垣は、作業員の労苦と、時代の熱い要請をしのばせる
採掘場跡と運搬路跡の一般公開は9月23日午前10時から行われる。参加者の受け付けは同1日から行い、先着で30人を募集する。一般公開は今後、毎年1~2回を見込む。市世界遺産登録推進室の佐々木育男室長は「紅葉、景観の美しさも楽しんでほしい」と呼びかける。問い合わせは同推進室(電話0193・22・8846)へ。
(復興釜石新聞 2015年8月26日発行 第413号より)
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