三鉄復活 全線運行再開、台風被害から5ヵ月〜沿線住民 笑顔で祝福、不屈のマイレールにエール
沿線自治体の首長も、大きな期待を込めて祝いのくす玉を披露した
昨年10月の台風19号による豪雨で線路路盤の流失など甚大な被害を受けた第三セクターの三陸鉄道(本社・宮古市、中村一郎社長)は、最後の不通区間となっていた陸中山田―釜石間の復旧を終え、20日、5カ月ぶりとなる全線運行を再開した。東日本大震災後、JR山田線宮古―釜石間の移管で、全長163キロの三鉄リアス線(久慈―盛)として再出発した鉄路が待望の復活を遂げ、沿線住民から大きな祝福を受けた。
三陸の大動脈再出発
陸中山田駅で行われた記念列車の出発式は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため規模を縮小して開催。中村社長が全国からの復旧支援に感謝し、「これからも人と人、地域と地域をしっかりつないでいくことを誓う」と運行再開を宣言した。達増拓也県知事は「三陸復興の未来を描く原動力、沿岸地域交通の大動脈として重要な役割を果たしていきたい」とあいさつ。記念列車の運転士と車掌に花束が贈られ、テープカット、くす玉開披。記念のヘッドマークを取り付けた列車は午後12時45分、佐藤信逸山田町長の出発合図、地元住民らの見送りでホームを滑り出した。
山田町大沢の会社員箱石大樹さん(45)、妻紗代子さん(41)は長男航希ちゃん(1歳3カ月)と駅舎に隣接する「ふれあいセンターはぴす」の図書館を訪れ、偶然に出発式のにぎわいに出会った。大樹さんは昨年3月の全線開通を契機に、家族で陸中山田駅から南の盛駅、2カ月後に北の久慈駅までを往復し、沿線の風景を楽しんだ。
「普段は道路を使うが、車は移動手段。鉄道で見える風景は違う。震災で鉄道が止まり、バス輸送が続いた。通勤や通学、観光で利用する方には運行再開はうれしいこと」と大樹さん。子どもを抱いて再開列車の出発を見送った。
強風の中で10本の大漁旗を振り続けたのは山田町商工会青年部(松本龍太部長)と岩手銀行山田支店(高村智典支店長)の「コラボ連」。旗は三陸山田漁協から借り受け、約8メートルの青竹に結んだ。まちのにぎわいづくりに積極的に取り組み、祭りにも参加する高村支店長は「三鉄の再開を待望していた。近隣の宮古、大槌などとの交流人口も持ち直すだろう」と期待を込めた。
横断幕掲げ 小旗振り、観光客招致にも大きな期待
手作りの三鉄応援手旗などを振り歓迎する沿線住民
お座敷列車を先頭にした3両編成の記念列車には、来賓と報道関係者約60人が乗車。釜石駅まで運行予定だったが、強風のため、岩手船越駅以南は運行を断念。出発から2駅までの運行となったが、沿線住民らが大漁旗や横断幕、手旗などで列車を迎え、震災、台風と2度の困難を乗り越えた三鉄に熱いエールを送った。
同駅に家族4人で駆け付けた佐々木純子さん(45)は「子どもたちは三鉄を見かけると必ず手を振っている。再開は大きな喜び。企画列車にも乗ってみたい」と笑顔。
駅前で商店を営む佐賀祐司さん(67)によると、国鉄山田線時代の1970年ごろまで、同駅の近くには駅員宿舎や保線区官舎もあったという。宮古、釜石への通学、通勤客でも活気があった。
佐賀さんは「列車の音が聞こえれば、華やかになる。震災から去年までは寂しかった。震災後の復旧もそうだが、全線を再開させた三陸鉄道はすごい。沿線の気持ちを盛り上げてくれる」とエールを送った。
大槌町の「三陸花ホテルはまぎく」の社員らは最寄りの浪板海岸駅で記念列車を歓迎する予定だったが、運行短縮の知らせを聞き、急きょ岩手船越駅に移動。安藤華奈美さん(24)は「新型コロナの影響で団体客のキャンセルも出ている。落ち着いたら、ぜひ三鉄を利用し、多くの方に三陸観光に来てほしい」と願った。
全線再開を祝おうという人たちは県外からも。埼玉県の川越東高1年千葉裕斗君(16)は、織笠―岩手船越間で記念列車を写真に収めた。鉄道が好きで各地に足を運ぶ千葉君は、昨年のリアス線開通時に沿線の歓迎ぶりを見て、「地元から愛されている路線」と実感。母親の実家が山田町田の浜にあり、JR山田線時代から何度も同路線を利用しているといい、「三鉄の魅力をもっと知ってもらって、たくさんの人でにぎわってほしい」と今後に期待を寄せた。
(復興釜石新聞 2020年3月25日発行 第878号より)
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