釜石の「戦跡」に注目 郷土資料館で9月4日まで企画展 初のリーフレットも作成


2022/08/16
釜石新聞NewS #地域

市郷土資料館で開催中の「釜石の戦跡」企画展。9日は青森、釜石両市の中学生が見学に訪れた

市郷土資料館で開催中の「釜石の戦跡」企画展。9日は青森、釜石両市の中学生が見学に訪れた

 
 釜石市鈴子町の市郷土資料館(藤井充彦館長)では、本年度の戦災企画展として「釜石の戦跡~未来に遺(のこ)す戦禍の記憶~」を開催している。戦後77年が経過し、戦争の痕跡を示す場所などを知る人が少なくなっていることから、記憶を後世につなぐ一助にと企画した。地図で戦跡の場所が分かる初のリーフレットも作成。同館で配布している。展示は9月4日まで行われる。
 
 企画展示室で、釜石の戦跡を紹介する写真と解説パネル、戦時下を物語る各種資料など50点を公開。普段目にしていた場所が戦争関連施設の跡地だったり、戦後に建立された慰霊碑や平和を願う像の由縁を知ることができたりと、興味深い展示となっている。
 
 大渡町の高台にある薬師公園は、今は春の花見スポットとして知られるが、戦時中は独立高射砲の部隊が2回目の艦砲射撃に備え、港町から移動し陣地を構えた場所。部隊に所属していた人たちから寄贈されたとみられる双眼鏡や砲弾の薬きょうなどが企画展で公開される。園内に建つ平和像は1954年に完成。当時の市長の指揮で3年がかりで建立され、今に受け継がれる。
 
薬師山(現薬師公園)にあった高射砲台。山の中腹を切り開いて陣地を構築した

薬師山(現薬師公園)にあった高射砲台。山の中腹を切り開いて陣地を構築した

 
独立高射砲第34中隊に関係する展示コーナー

独立高射砲第34中隊に関係する展示コーナー

 
 嬉石町の隧道(ずいどう=トンネル)は、釜石製鉄所で出るノロかす(鉄滓)を平田湾埋め立て用に運ぶため掘られたものだが、1回目の艦砲射撃の際、近くのれんが工場建設に学徒動員されていた女学生や地域住民らが逃げ込み、助かった場所でもある。一方で、同町の山林内にあった防空壕(ごう)は同砲撃で砲弾が直撃し、約70人が犠牲になった。戦後、地元住民が供養のために建てた平和地蔵が残る。
 
嬉石町などの戦跡を紹介するパネル

嬉石町などの戦跡を紹介するパネル

 
 市内各地にあった防空壕のうち、現在目に見える形で残るのは数か所のみ。企画展では小川町と浜町の防空壕跡が写真で紹介される。奥行き約50メートル、岩盤に設置された小川の防空壕には艦砲射撃の際、住民約50人が避難したとされ、中からは陶磁器製の防衛食容器の破片が見つかっている。
 
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 東前町の防潮堤近くには、海軍武官府の施設があった。弾薬庫としても使われていたため扉や窓は鉄板製で、壁の厚さは50センチもあった。戦後、漁協が倉庫として使用していたが、東日本大震災の津波で被災したため建物は解体された。解体時に回収された扉のコルク材の一部を今回、展示している。
 
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防弾と防音のため、武官府扉内側にはめ込まれていたコルク(左)と建物解体前の扉写真(右)

防弾と防音のため、武官府扉内側にはめ込まれていたコルク(左)と建物解体前の扉写真(右)

 
 この他、港町と甲子町大橋にあった捕虜収容所の写真や関連資料、書籍なども展示。資料によると、2カ所に計746人の外国人が収容され、厳しい労働に従事させられていたという。収容中、病気で33人、艦砲射撃で32人が亡くなっている。
 
 常設展示も企画展に合わせ一部展示替えを実施。110点の貴重な戦災資料を見ることができる。同館の佐々木寿館長補佐は「釜石が戦場であったことを再認識し、平和についても考えてみてほしい。新たに戦跡マップも作ったので、現地に足を運ぶきっかけにもなれば」と来場を呼び掛ける。
 
新たに作成された「釜石の戦跡」リーフレット

新たに作成された「釜石の戦跡」リーフレット

 
 同館は午前9時半~午後4時半まで開館(最終入館午後4時)。火曜日休館だが、8月16日は臨時開館する。

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