戦後77年 釜石市で戦没者を追悼 艦砲射撃の記憶、平和への願い 確実に後世へ


2022/08/16
釜石新聞NewS #地域

2回目の艦砲射撃から77年となった9日に行われた釜石市戦没者追悼式

2回目の艦砲射撃から77年となった9日に行われた釜石市戦没者追悼式

 
 太平洋戦争末期、2度にわたり米英海軍から艦砲射撃を受けた釜石市―。同砲撃の犠牲者や異国の地で命を落とした出征兵士らを慰霊する市主催の戦没者追悼式が9日、大町の市民ホールTETTOで行われた。遺族や関係者110人が参列。戦争で犠牲になった御霊に哀悼の祈りをささげ、非戦、恒久平和への誓いを新たにした。
 
 同市が2回目の艦砲射撃を受けた日から77年となったこの日。黙とう後、式辞に立った野田武則市長は「戦争の悲惨さを決して忘れず、恒久平和の確立へ努力することが、国内で唯一2度の艦砲砲撃を受けた当市に課せられた使命」と述べた。
 
 満州に出征した父(当時27)を亡くした浜町の西村征勝さん(78)=市遺族連合会会長=が、遺族を代表し追悼のことば。「何十年の年月を経ようとも悲しみが癒えることはない。ロシアによるウクライナ侵攻の現状に日々、胸が締め付けられる思い」と戦争がもたらす苦しみに言及。戦争体験者の減少による記憶の風化、遺族会の存続も懸念し、「戦争を知らない世代が多い今、私たちが語り継ぐことの大切さを痛感している」と実感を込めた。
 
遺族を代表し追悼のことばを述べる西村征勝さん

遺族を代表し追悼のことばを述べる西村征勝さん

 
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祭壇に白菊を手向け、祈りをささげる遺族ら

 
 参列者は一人一人祭壇に白菊を手向け合掌。犠牲者の冥福、世界平和への願いを祈りに込めた。式典会場の受付近くでは、昨年に続き、釜石艦砲や太平洋戦争に関する戦災資料を展示した。1945年7月14日、8月9日の砲撃の記録、関係する写真や映像などを公開。2度の艦砲射撃による犠牲者はこれまでに782人が確認されている。市は引き続き、特定のための情報提供を呼び掛ける。
 
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平和防災学習の一環で釜石を訪れた青森市の中学生も献花

平和防災学習の一環で釜石を訪れた青森市の中学生も献花

 
 式典には、平和防災学習の相互交流事業で釜石市を訪問した青森市の中学生9人が釜石の中学生とともに参列した。青森市は45年7月28日、米軍のB29爆撃機による空襲を受け、1018人が犠牲になっている。市立南中1年の平沢唯花さんは曽祖母が同空襲を経験。「みんなで必死に穴を掘った防空壕で、空襲の音におびえながら命をつないだこと、親戚が亡くなったことを泣きながら教えてくれた」という。釜石訪問で戦争の悲惨さを再認識した平沢さんは「今後、戦争経験者がいなくなる時代がきてしまう。今、私たちが聞いたことを責務を持って周りに伝えていかなければ」と話し、伝承による抑止力を願った。
 
釜石艦砲を伝える合唱組曲「翳った太陽」について説明を受ける青森市の中学生

釜石艦砲を伝える合唱組曲「翳った太陽」について説明を受ける青森市の中学生

 
艦砲射撃など戦争に関する展示でも理解を深めた

艦砲射撃など戦争に関する展示でも理解を深めた

 
 同追悼式は新型コロナウイルス感染症の影響で20年は中止。21年は参列者を市内の遺族に限定した。今年は参列者の制限は設けなかったが、例年行う平和作文の朗読や献唱、会場への送迎バス運行は昨年同様、取りやめた。式典時間に来られなかった人たちのため、会場内の献花台を午後2時まで開放した。

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