釜石を駆け抜けた五輪聖火リレー 夢・希望・笑顔つなぐ


2021/06/23
釜石新聞NewS #スポーツ

釜石市(1・22キロ)を走った10~60代の聖火リレーランナー。市内外から集まった

釜石市(1・22キロ)を走った10~60代の聖火リレーランナー。市内外から集まった

 

 「復興五輪」を掲げる東京五輪の聖火が釜石市にやって来た。17日、魚河岸から大町の市民ホールTETTOまでの1・22キロで、本県ゆかりの8人のランナーが希望の炎をつないだ。東日本大震災からの復興、望郷の思い、支えてくれる人への感謝。ランナーはそれぞれの思いを聖火に込めて走った。沿道に駆け付けた市民らは新型コロナウイルス対策をとりながら拍手で迎えた。

 

 第1走者は釜石中3年の奥村晄矢君(14)。世界で活躍するトップアスリートの育成を目指す「いわてスーパーキッズ」に小学5年から参加している。さまざまな五輪競技種目を体験する中、現在は得意の走力を生かし陸上競技に打ち込んでいる。

 

釜石市内第1走者を務めた奥村晄矢君。友達が大漁旗でエール(提供:東京2020組織委員会)

釜石市内第1走者を務めた奥村晄矢君。友達が大漁旗でエール(提供:東京2020組織委員会)

 

 共に頑張る陸上部の仲間が大漁旗を振って後押しする中、堂々とした走りで進んだ奥村君。「気持ちよく、笑顔で走ることができた」とすがすがしい表情を見せた。世界的なスポーツの祭典・五輪の始まりを盛り上げるイベントに関わったことで、スポーツに対する思いを刺激された様子。「陸上をメインに大きな大会にも出場し、トップアスリートを目指したい」と前を向いた。

 

 「感動した」。わが子の勇姿を沿道で見守った母由佳さん(51)は感激の様子。「たくさんの人とわくわく感を共有したことを覚えていてほしい」と感慨深げに話した。

 

「バトンタッチ」。トーチキスでポーズを決める奥村晄矢君(左)と横田信之さん

「バトンタッチ」。トーチキスでポーズを決める奥村晄矢君(左)と横田信之さん

 

 揺らめく炎は「トーチキス」で第2走者の横田信之さん(53)=神奈川県横浜市=にリレー。釜石生まれで、4歳まで過ごした故郷にできた新しい街並みをしっかりと目に焼き付けるよう走った。「ありがとう」「岩手の思いをつないで走ろう」。沿道で見つめる人たちが掲げたメッセージに、「みんなが互いに応援し合っている感じ。トーチの炎で希望の炎をともすことができたらうれしい」と温かい気持ちを交換した。

 

 第3走者の清水信三さん(64)は震災復興に関わったことから岩手応援を続ける。第4走者の早坂沙織さん(33)は支えてくれる人たちへの感謝の気持ちを込め聖火をつないだ。

 

地元在住の新里さんと三上さん トライアスロンパフォーマンスで聖火をつなぐ

 

トーチの火を受け渡し、トライアスロン3種目のポーズを決める新里進さん(奥)と三上雅弘さん

トーチの火を受け渡し、トライアスロン3種目のポーズを決める新里進さん(奥)と三上雅弘さん

 

 釜石の震災復興のシンボルの1つ「トライアスロン」を模したパフォーマンスで聖火リレーを盛り上げたのは、第5走者の新里進さん(63)=浜千鳥社長=と第6走者の三上雅弘さん(57)=県トライアスロン協会会長=。2011年の震災から10年となる地元釜石の未来に希望を託し、聖火をつないだ。

 

 「トーチに火を受けた時、全国をつないできているという重みを強く感じた」と新里さん。「沿道の応援が何よりうれしく、楽しく走れた」と今までにない高揚感に胸を躍らせた。創業約100年の酒蔵の経営者。地域に密着した酒造りを行い、地元経済振興の一翼を担う。震災から10年の節目の年を「明るい未来への1つの区切り」と捉え、地域活性化の願いを赤々と燃える炎に込めた。

 

 三上さんは震災の津波で自営の店と自宅を失った。幾多の困難を乗り越え、18年に自宅を再建。現在は山田町の任期付き職員として働く。震災前から運営に携わってきた釜石はまゆりトライアスロン国際大会。被災の翌年から大会復活に向け動き出し、14年には全3種目による大会を実現。16年の岩手国体同競技の成功にも貢献した。

 

震災前の居住地只越町を走る三上雅弘さん。地元住民ら沿道の応援に笑顔で応える

震災前の居住地只越町を走る三上雅弘さん。地元住民ら沿道の応援に笑顔で応える

 

 一般公募枠で聖火ランナーに選ばれ、1年の延期を経ての大役。「思っていたよりも胸に込み上げてくるものがあった。本当にいろいろな人の支えがあって今日まで来たんだなと。言葉にならないような感情でした」と三上さん。被災地に向けられてきた支援に深く感謝し、「まだまだ課題は多い。自分たちが行動を起こし、まちを変えていく姿を引き続き発信していきたい」と誓った。

 

沸く沿道思い出す 最終走者・森重隆さん 変わらぬ笑顔で走り抜く

 

ゴールの市民ホールに到着した森重隆さん。新日鉄釜石ラグビー日本一のパレードをほうふつとさせる笑顔に市民も大喜び

ゴールの市民ホールに到着した森重隆さん。新日鉄釜石ラグビー日本一のパレードをほうふつとさせる笑顔に市民も大喜び

 

 最終走者は、新日鉄釜石ラグビー部で活躍し、現日本ラグビーフットボール協会長の森重隆さん(69)=福岡県福岡市。被災地の子どもたちを支える活動を継続する第7走者の湯澤大地さん(53)=神奈川県鎌倉市=から引き継いだ火をゴール地のTETTOに運んだ。

 

 盛大な拍手に高々とトーチを掲げ、現役時代と変わらぬ笑顔で応えた森さん。「第二の古里」とも言える地をゆっくりと走りながら、「40年前の(優勝)パレードを思い出していた」という。日本選手権7連覇がスタートした1979、80年に主将を務め、82年には選手兼監督として4連覇を達成。「ひげの森」と親しみを持って応援してくれた市民らの姿が重なった。「一生の思い出をありがとう」

 

 釜石も試合会場となった2019年のラグビーワールドカップ日本大会に携わり、「スポーツの力は人の心を動かす」と改めて実感。コロナ禍で開催の意義がかすんでいるとの懸念もある五輪について、「どんな形になるか分からないが、だからこそ頑張ってほしい。皆がやって良かったと思える大会に」と願った。

 

スポンサータオルやうちわを振りながらランナーを応援する市民=大町青葉通り

スポンサータオルやうちわを振りながらランナーを応援する市民=大町青葉通り

 

 只越町の関伊都子さん(51)は森重隆さんら釜石のために走ってくれたランナーの姿に感慨深げ。「リレーを盛り立てようと集まった市民の数も想像以上」と感動の瞬間を心に刻んだ。東京五輪の観戦チケットも入手し楽しみにしているが、「行けるのかどうか」。観客動員の詳細が見えない状況に複雑な思いをのぞかせた。

 

 うれしそうに走るランナーたちの姿に、只越町の菊地千津子さん(44)、凜さん(9)親子は「やって良かったんだ」と納得した様子。コロナの影響で活動制限が続く中での実施には複雑な気持ちもあったというが、「目の前で見たら楽しいし、地域が活気づく」と声を弾ませた。

釜石新聞NewS

釜石新聞NewS

復興釜石新聞を前身とするWeb版釜石新聞です。専属記者2名が地域の出来事や暮らしに関する様々なNEWSをお届けします。

取材に関する情報提供など: 担当直通電話 090-5233-1373/FAX 0193-27-8331/問い合わせフォーム


釜石のイベント情報

もっと見る

釜石のイチ押し商品

商品一覧へ

釜石の注目トピックス