釜石はまゆりトライアスロン 来年の国体本番へ手応え、エリート部門 国体出場目指し激戦
エイジ、リレーの部のスイムスタート。根浜の海で熱い戦いが幕を開けた
第22回釜石はまゆりトライアスロン国際大会(同実行委員会主催)は2日、釜石市鵜住居町の根浜海岸特設会場を発着点に開かれた。トライアスロンが正式競技となる来年の「希望郷いわて国体」に向けたリハーサル大会として、国体と同ルールで行うエリートの部を実施。復興支援への感謝、競技の振興など大きな意義が込められた国体の成功へ関係者が手応えをつかんだ。
はまゆりトライアスロンに釜石復興への願いを込める選手、ボランティアら大会関係者。震災前のような環境で大会ができる日を夢見て…
エリートの部には国体出場が有力な男子12人、女子9人が参加。一般の部に先立ち、男女別にスタートした。スイム(水泳)1・5キロ、バイク(自転車)26キロ、ラン(長距離走)10キロの計37・5キロのレース。国体で使われる栗林、箱崎町にまたがるコースでハイレベルな戦いが繰り広げられた。
バイクのゴール地点まであと少し。大漁旗がトライアスリートの背中を押す
男子1位でゴールしたのは東京都の小学校教諭、外山高広さん(31)=東京ヴェルディトライアスロンチーム。タイムは1時間34分37秒で、2位以下を3分以上引き離した。「思ったより道路もきれいで、コース誘導も分かりやすかった。東京は激戦区だが、都予選を突破し正式競技となる来年の国体に必ず出たい」と強い決意を示した。
エリート女子1位は1時間49分48秒で神奈川県の孫崎虹奈さん(20)=日本体育大3年。大阪府出身で、ふるさと登録で国体を目指す。「今大会でしっかりアピールしたいと思って。被災地のコース状況も知ることができた。仲間と切磋琢磨(せっさたくま)し来年また、ここに戻ってきたい」と誓った。
一般のエイジの部には157人、リレーの部には19チーム(52人)が参加。10代から70代の選手が、復興途中の釜石の今を体感しながらレースに挑んだ。沿道では地元住民らが声援を送り、選手、応援側双方が互いに力を与え合った。
リレーの部で釜石シーウェイブスチームのアンカーを務めた長田剛さん(32)は10キロを走り切り、「沿道の声援のおかげで予想以上の力が発揮できた」と感謝した。関西から釜石にやってきて6年目。3年前、大きなけがで現役引退を余儀なくされたが、コーチとして釜石に残った。「周囲の激励が治療より効いた。釜石大好き。恩返しできるまで簡単には離れられない。そのためにもラグビーで結果を出さないと」と決意を新たにした。
「○○さんガンバ!」。名前を呼んで声援を送る子どもたち
息子の応援に来た花巻市の平賀実さん(77)、良子さん(72)夫妻は「健康づくりのために始めたというが、大したものだ。頑張ってほしい」と期待。実さんは1970年の岩手国体水泳競技で釜石に審判員として訪れており、「来年もぜひ見にきたい」と望んだ。
大会には県内外のボランティア約600人が協力した。被災した国道45号の復興工事を行う大林道路の作業員ら7人は、工事区間と重なるバイクコースでカラーコーンの設置・回収に従事。管理技術者の倉岡大二郎さん(40)は「皆さんが頑張っている姿を見ると自分たちも励みになる。来年の国体に間に合うよう工事に全力を尽くしたい」と話した。
ラン(長距離走)は箱崎地区を4周回。大槌湾を背景にひた走る
1990年から続けられた同大会は2011年の震災で中断。関係者や釜石大会を愛する全国のアスリートらの情熱で、12年はオープンウォータースイム(遠泳)、13年はアクアスロン(スイム、ラン)、14年はトライアスロンと、大会復活へ一歩一歩階段を上がってきた。来年10月2日の国体は、震災前の釜石大会と同じ総距離51・5キロ(スイム1・5キロ、バイク40キロ、ラン10キロ)で競う。リハ大会には東北6県の公認審判員ら約70人が集結し、本番に向けた課題などを探った。
今大会の総務委員長を務めた県トライアスロン協会の三上雅弘会長(51)=釜石市=は「エリートレースはルールや運営に厳格さが求められる。今回の経験を来年につなげ、選手に満足していただける大会を作り上げたい」、大会総括責任者の小林格也・釜石トライアスロン協会会長(76)は「国体本番に向け形が見えた感じ。正式競技になれば競技人口の底辺拡大にもつながる。その第一歩が釜石から始まる」と気を引き締めた。
(復興釜石新聞 2015年8月5日発行 第408号より)
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