足音(川向修一 2021年3月31日 記)
「復興釜石新聞」は、東日本大震災で紙ベースの広報手段を失った釜石市の広報行政の一端を担う形で、緊急避難的にスタートした。震災から3カ月後の2011年6月11日に創刊。当初は市内の全世帯に約1万8千部を無料配布した。14年11月から有料化。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、去年の4月後半からは通常週2回の発行を1回に減らしながら何とかこの1年をつないできたが、本日付で最終号を迎えることになった。
10年前、新聞の顔となる1面のコラムのタイトルを何にしようかと考えた時、スッと頭に浮かんだのが「足音」であった。「復興への足音」という意味を込め、瓦礫(がれき)に包まれた暗いまちに少しでも明るさが見える「窓」のような存在になればと願った。できるだけ被災者の方々に、震災直後の混乱の中での生の思いをつづっていただこうと思い描いた。編集者が毎回下手な文章をひねり出すより、被災地で暮らす人々に心の内を丹念に刻んでもらった方が、復興へと足を踏み出す地域の力になるだろうと考えた。
1回目のコラムは岩切潤さん(釜石市芸術文化協会会長)にお願いした。「教訓は早めの行動」と題し、津波から間一髪で逃れ命拾いした経験を貴重な教訓として振り返ってもらった。その後、柏﨑龍太郎さん(釜石市社会教育委員)、中川淳さん(平田町内会元会長)が加わり、地域のご意見番として目指すべき復興のあり方を示唆。時には被災地の現状を憂う、厳しいエールと受け止めた。
増田久士さん(釜石シーウェイブス事務局長)にはラグビーの現場から、その後釜石での開催が実現するラグビーワールドカップ(W杯)の機運醸成へ〝地ならし〞をしていただいた。柴田渥さん(松原町内会事務局長)は被災者の日常を女性の目線で的確に切り取り、佐々木道典さん(気象予報士)のコラムからは移ろう季節の匂いが感じられ、癒やされた。
この10年、その時々の釜石の空気を日記のような形で残すことが弊紙の役割と考え、号を重ねてきた。紙面に刻まれた「何でもない日常」は、今後10年、20年を経た時に大きな意味をもつことになると願っている。
(かわむかい・しゅういち/釡石新聞編集長/釡石市住吉町)