「鉄都釜石の立役者」しのぶ、石応禅寺で高橋亦助百回忌法要〜郷土復興への決意新たに、顕彰会も近く正式に発足
「鉄のまち釜石」の礎を築いた先人の墓前で手を合わせる
「鉄都釜石の立役者」とされる明治時代の製鉄技師、高橋亦助(1853~1918年)の百回忌と釜石製鉄所従業員の物故者法要が3日、釜石市大只越町の石応禅寺(都築利昭住職)で行われた。同寺と、近く正式に発足する高橋亦助顕彰会が共催。関係者50人が参列して郷土の先人の遺徳をしのび、「鉄のまち」としてさらなる発展を目指す決意を新たにした。
法要は、釜石製鉄所の前身に当たる釜石鉱山田中製鉄所の初代所長横山久太郎(1856~1921年)の命日に合わせ、初めて行われた。
冒頭で、発起人の野田武則釜石市長が経緯を報告。「昭和33(1958)年、薬師公園内に高橋亦助顕彰碑が建立されたが、その後はおろそかにされていた。反省している」とした上で、「高橋亦助の努力があって今日の釜石がある。不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を与えてくれた偉業を共有し、さらなる発展を目指したい」と決意を述べた。
参列者はこのあと横山久太郎、高橋亦助の墓前に足を運び、先人の功績をしのびながら手を合わせた。
百回忌法要で高橋亦助の偉業に思いをはせる参列者
高橋亦助は1883(明治16)年に発生した釜石大火で焼失した石応禅寺が現在の場所に移転する際にも力を尽くした。都築住職(48)は「その恩にも報いたい」とした上で、「釜石で生まれた亦助の偉業を市民に広く知ってもらいたいと法要を行った。震災からの復興に向け、不撓不屈の精神を受け継いでいきたい」と思いを込める。
近く正式発足する顕彰会のメンバーは10人程度を見込み、会長には米田寛新日鉄住金釜石製鉄所長を予定。今後は毎年この時期に法要を行うほか、高橋亦助の偉業を改めて市民に周知する活動にも取り組む。
■高橋亦助(たかはし・またすけ)
釜石村に生まれ、22歳の時に政府の工部省鉱山局釜石出張所の求人に応募し採用される。高炉操業主任として高炉での出銑に挑み、1886年、49回目で成功にこぎ着けた。製鉄所は1917(大正6)年、田中鉱山に改組。亦助は監査役、栗橋分工場長となるが、翌18年にまん延したインフルエンザにり患し、死去した。
(復興釜石新聞 2018年3月7日発行 第670号より)
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