埋蔵文化財が一同に、釜石・大槌の出土遺物を中心に〜「文化・芸術が集うとき in 釜石」県立博物館も合同展示
埋蔵文化財展では、大昔の人々の暮らしを垣間見ることができるさまざまな遺物が展示された
公益財団法人岩手県文化振興事業団(県民会館、埋蔵文化財センター、博物館、美術館)主催のイベント「文化・芸術が集うときin釜石市」は、16日から18日まで大町の市民ホール「TETTO」で行われた。本県の自然や文化、歴史などを身近に感じ理解を深めてもらおうと、2012年度から各市町村で開かれ、釜石市は6カ所目の開催。復興事業に伴い発掘された埋蔵文化財や県立博物館収蔵資料の展示、同美術館長講座、釜石出身の音楽家らによる演奏会などがあった。会場には幅広い年代の人が足を運び、さまざまな文化・芸術に触れて楽しみ、理解を深めた。
第38回埋蔵文化財展・17年度県立博物館移動展の合同展示は、ホールBで3日間開催され、最終日の18日は、展示解説会も開かれた。
埋蔵文化財展では、震災後の復興事業(道路建設など)に伴って沿岸部で実施された緊急発掘調査のうち、釜石・大槌地区の成果を中心に公開。各遺跡の出土遺物や遺跡の現場写真など約300点が並んだ。
小白浜遺跡(唐丹町)では竪穴住居13棟が見つかり、土器や石皿などが出土した
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県立埋蔵文化財センターが同地区で行った復興発掘調査では、縄文時代早期(約8千年前)から室町時代(約500年前)までの遺跡を発見。縄文時代の竪穴住居や貯蔵穴、土器や石器、土偶、平安~室町時代の鉄作りを物語る炉や木炭窯、鉄滓(てっさい)、鉄製の鏃(やじり)など、各年代の暮らしや産業を裏付ける遺構や遺物が多数出土した。
釜石市内では今年1月現在、318の遺跡が確認されており、12~17年度までに市教委や同センターなどが行った復興発掘調査は20件。片岸、箱崎、鵜住居、平田、唐丹地区で、竪穴住居などの集落跡が見つかっている。
この中で最も古いのは唐丹湾に面した屋形遺跡で、縄文中期末から後期初頭(約4千~3500年前)の貝塚から、シカの角で作った釣り針やイノシシの牙で作った垂飾品(首飾りなど)が出土。同展では、この貝塚の地層貼り取り標本も展示された。今後は国指定史跡を目指し調査を実施するという。
年代が新しいのは、平安終期から鎌倉時代の川原遺跡(鵜住居町)。12世紀後半から13世紀代の中国産磁器(青磁・白磁)、東海地方産の陶器(常滑・古瀬戸など)、かわらけが出土しており、平泉文化の影響が考えられるという。
同センターの職員は「沿岸部は元々、開発が多くなかったので、遺跡が丸ごと残っている状態の所が多い。復興関連の発掘で今まで知られていなかったことがたくさん分かってきた」と話した。
博物館移動展では、地質、歴史、民俗、生物の4部門から約90点の収蔵資料を展示した。釜石市関係で目を引いたのは、栗林町砂子畑地区に広がる古生代デボン紀(約3億7200万~3億5900万年前)の地層「千丈ヶ滝層」から見つかった植物(リンボク)の化石。国内最古の植物化石の一つだという。また、近代製鉄発祥の地ならではの豊富な鉱石も。中生代白亜紀(約1億4500万~6600万年前)に上昇したマグマが石灰岩と化学反応してできた「スカルン鉱床」から鉄鉱石や銅鉱石が産出され、後の製鉄業発展につながっていった歴史的価値が紹介された。
釜石の鳥瞰図の説明を聞く来場者。1枚は市制施行記念で発行
このほか、京都出身の吉田初三郎が描いた昭和初期の釜石の鳥瞰(ちょうかん)図2種(1934、37年)、盛岡藩士・田鎖鶴立斎の絵を版画にした江戸時代の「釜石・尾崎白浜之図」、三貫島の植物(タブノキ、ベニシダなど)標本、震災の津波で失われた片岸町ミノスケ沼で採集された野鳥(アオジ、オオジュリン)の剥製も公開された。
来場者は学芸員らの説明を聞きながら、岩手が誇る貴重な資料を興味深そうに見入っていた。
(復興釜石新聞 2018年2月21日発行 第666号より)
平成29年度岩手県文化振興事業団プレゼンツ「文化・芸術が集うとき in 釜石」 | 釜石市民ホール
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