釜石南・米子東「甲子園対決」から21年〜激闘振り返り、エール交換
釜石南(前列左から)米子東の古曳さん、山本さん、釜石南の赤崎さん、小國晃也さん
釜石南高(現釜石高)野球部が春のセンバツで初めて甲子園に出場し、対戦した米子東高(鳥取県)の野球部OBが3日、釜石市を訪れ、釜石南OBと交流を深めた。1996年の「甲子園対決」から21年。年齢も40歳近くになった”球児”らは、逆転、また逆転のまれに見る激戦となった試合を振り返りながら、「お互いに、これからもがんばろう」とエールを交換した。
対戦当時の3年生は釜石南が23人、米子東は11人。交流会には、米子東から山本学さん(当時は右翼手で2番、首都圏在住の会社員)、OB会事務局長で現野球部コーチの古曳(こびき)正太さんが出席。釜石南からは当時の主将の菊池暁さん(遊撃手)のほか、小國晃也さん(右翼手)、赤崎友洋さん(右翼手)、萬大輔さん(投手)、小國忍さん(左翼手)、君ケ洞剛一さん(控え)、柏直樹さん(同)、三浦徹也さん(同、現OB会事務局)の8人が応じた。
昨年、20年ぶりに釜石高が春のセンバツに出場した際、米子東OBの古曳さんが釜石高に問い合わせ、現OB会長の小國晃也さん(大槌町職員)に連絡。そこから情報を交換するようになったという。当初は昨年の今ごろ釜石に来る予定だったが、日程の調整がつかず、やっと交流が実現した。
古曳さんと山本さんは年代が違うものの、同じ中央大出身。山本さんは東日本大震災後に仕事で久慈市に行く機会が度々あり、古曳さんは父親が震災後の復興事業の一環で、釜石で埋蔵文化財発掘調査をしたという被災地とのつながりもあった。
釜石南側の出席者のうち遠野市に住む菊池さん以外はいずれも震災の津波で被災し、当時の写真やビデオを失っている。米子の山本さんがDVDレコーダーを持参。試合のビデオを見ながら当時の心境やプレーを振り返り、思い出話で大いに盛り上がった。
釜石南側は甲子園出場10周年を記念し、2006年に「釜甲会」を設立。毎年一度は、当時の監督の佐藤隆衛さんをはじめ当時の指導者も含めて温泉に集まるようにしている。米子東側も正月には当時の3年生が当時の監督の家に集まっているという。
釜石が昨年春、21世紀枠でセンバツに出場した際には、20年前の米子東の主将、中曽さんが甲子園に駆け付け、アルプススタンドで釜石応援団と一緒に声援を送るというエピソードもあった。
今回の交流会では、「あのメンバーでまた野球をしよう」と約束し、別れたという。
■釜石南―米子東(1996年3月31日)
米子東
510000003|9
000014020|7
釜石南
(復興釜石新聞 2017年11月11日発行 第638号より)
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