国連「津波の日」に避難訓練、釜石市では2000人余りが参加〜5年前を思い、備え共有
休日と重なった避難訓練でも大津波被災地の住民は幅広い年代が参加した=5日、釜石小
国連が昨年創設し、初めて迎えた「世界津波の日」に合わせて5日、釜石市で避難訓練や啓発イベントが行われた。訓練は午後1時から行われ、市は釜石大槌地区行政事務組合消防本部へ災害対策本部を設置。初動対応などを訓練し、万一の際の情報収集、関係機関への情報伝達、避難者の支援体制などを確認した。参加者は市職員が配置された22カ所の指定避難所などで約1300人に上り、任意の避難所を合わせると2千人を超したと推定される。
5日は国の「津波防災の日」でもあり、同日の訓練は昨年に続き2回目。「岩手県沖を震源とする地震で、釜石は震度5強を観測。本県沿岸に大津波警報が発表」との想定で訓練が行われた。
東部地区で最大の避難所となる釜石小には、大渡町を中心に77人が避難した。階段を上る87歳の女性は家族に支えられ、途中で休みながら、ようやく到着した。避難所の運営にかかわる地元町内会の荻野哲郎会長ら役員と市職員は避難者を体育館に誘導、名簿作りに着手した。
避難所の運営スタッフは東日本大震災での経験などをもとに、校庭・校舎・体育館の模式図に部屋割りを書き込んだ。心身の健康管理と衛生の維持、必要最小限のプライバシー確保、外国人のスペース、男女の更衣室設置、ペットの居場所などを再確認。震災時、町内会などの避難所運営では、避難者自身の協力、学校教職員の児童対応などもあって大きな混乱はなかった。
避難した住民は、避難の基本認識のほか、消防による救助活動には限界があることなど、釜石消防署の講話に耳を傾けた。搬送体験では、体重約65キロの男性を女性2人、あるいは4人で抱えた。意識のない人の体は重く、50代の女性は「4人でも長い距離を運ぶのは無理。むしろ背負ったほうが楽のよう」と感覚を話した。
視覚障害者の体験も行われた。釜石小4年の小村涼佑君も白杖を持ち、母親と交互に体験。「一人で動くのだったら、本当に怖かっただろう。お母さんには、状況をよく伝えるようにした」と話した。
津波で只越町の自宅を流失した女性(74)は、旧釜石中体育館に避難した。甲子町の仮設住宅で5年余りを過ごし、現在は大渡町に新築した自宅に住む。「学校までの階段はきつかった。いざとなったら、もっと速く上れるのでしょう」。5年前の経験を生かし、小さな非常持ち出し袋には常備薬、水、肌着、水のいらないシャンプーを入れていた。
(復興釜石新聞 2016年11月9日発行 第536号より)
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