教訓伝える3基の石碑、釜石市箱崎町〜高台避難を次世代につなぐ
明治、昭和、平成(左から)の津波の石碑が並んだ箱崎地区
津波の脅威と教訓を末永く後世に―。東日本大震災発生から10年を迎えるのを前に、釜石市箱崎町の津波到達地に住民らが「津波記念碑」を建立。6日、落成開眼式が行われた。地域に受け継がれてきた明治、昭和の三陸大津波の碑に並ぶ形で建てられ、地区の被災の歴史と変わらない高台避難の教訓を次世代につなぐ。
落成式には地域住民ら関係者約50人が出席した。建立実行委の小川原泉委員長(69)=釜石東部漁協組合長=が経緯を説明し、「これからもあの災害を忘れることなく、子々孫々に至るまで語り継いでほしい」とあいさつ。野田武則市長と共に記念碑を除幕した。常楽寺(鵜住居町)の藤原育夫住職により開眼供養が行われ、出席者が焼香して手を合わせた。
黒御影石の記念碑は高さ1メートル90センチ、幅1メートル40センチ。上部の曲線が津波を表現する。表面に刻まれた「平成の大津波記念碑」の文字は野田市長が揮毫(きごう)。裏面には「忘れない」に続き、震災の発生日時、当時の総世帯数・人口、被災戸数、死者・行方不明者数などが刻まれた。建立場所は震災後、整備された市道箱崎半島2号線沿い、集落入り口付近の市有地。
震災の被災状況を刻んだ津波記念碑
箱崎町内会(同町5~12地割)で震災10年を契機とした記念碑建立の声が上がり、昨年8月、実行委を組織。事業費約250万円は、現住民と被災して他地区に移転した元住民からの寄付金を主財源とした。
箱崎漁港に面する同地区には震災前、273世帯、734人が暮らしていたが、津波で86%にあたる235世帯が被災。地区内で72人(関連死含む)が犠牲になった。
石碑近くの馬場前地区造成地に自宅を再建した小林りち子さん(62)は、津波で夫のおばが行方不明。家族は無事だったが、自宅や所有する船、養殖道具などを全て失った。「大地震が来たら身一つでいいから、とにかく高台に逃げる。命が一番大事。教訓を伝えるこれらの碑をみんなで守っていきたい」と思いを込める。
同町内会の荒屋正明会長(75)は「記念碑建立は6年前に会長職を受けた時から頭にあった。地区を離れた皆さんにも協力をいただき、ありがたい」と感謝。「犠牲者を悼み、災禍を忘れない場所として心にとどめ、さらなる地域防災力強化を図っていければ」と決意を新たにした。
復興が進んだ同地区は自宅再建がほぼ終了。戸建て復興住宅(31戸)を含め、現在は148世帯が居住する。防潮堤(高さ14・5メートル)工事は、集落と漁港を結ぶ乗り越し道路の整備が今月末に完了する予定。
復興釜石新聞(合同会社 釜石新聞社)
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