刻まれた名に手を伸ばし〜祈りのパーク「あの人」思う


2020/03/23
復興釜石新聞アーカイブ #地域

掲示された犠牲になった人の名前に触れる遺族ら

掲示された犠牲になった人の名前に触れる遺族ら

 

 東日本大震災から9年を迎えた11日、釜石市鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」では、さまざまな思いを込めた祈りが続いた。震災の津波で多くの犠牲者が出た鵜住居地区防災センター跡地に整備された同パーク。市内全域の犠牲者の芳名板を設置する広場には遺族や縁故者らが次々に訪れ、献花して手を合わせた。あの人を思う、震災を忘れない、語り継ぐ―。大切な人を失った悲しみ、後悔は消えることはない。それでも、それぞれが次の一歩を歩み出す。

 

 市は震災が発生した命日に、この場所での追悼を続けてきた。9回目の「3・11」も野田武則市長、市幹部職員ら約30人が訪れ、黙とう。白菊を手向け、犠牲者の冥福を祈った。

 

 同パークは昨年3月11日にオープン。慰霊碑には市内の震災犠牲者1064人のうち、1001人の芳名板を掲げる。完成時、芳名板は五十音順に配置されたが、遺族らから「家族が離れ、ばらばら。隣り合わせてほしい」などと声が寄せられ、今月上旬に並びを家族単位に変更。同姓同名の芳名板は希望に応じて地域名を追加した。

 

 父孝さん(当時104)と兄夫婦を亡くした福島県郡山市の下川原潔さん(79)は、この地を震災後初めて訪れた。3人の名前を見つけて、ほっとした表情。刻まれた名にそっと手を伸ばし、「一緒に送り出した3人が隣り合って並んでいる。元気だったか。こっちは元気でいたよ」と言葉を掛けた。

 

 高齢の女性は「名前をみると涙が出るけど、前向きに頑張っていかないと」と上を向く。「忘れてはいけないと思って…」と言葉をかみしめる若者。初老の男性は「犠牲を無駄にしてはいけない。震災の教訓を伝えたい」と思いを深める。あの日を巡る、さまざまな感情が交錯していた。

 

 地震発生時刻の午後2時46分。防災無線のサイレンが鳴り響くと、訪れた人たちが一斉に黙とう。芳名板の前では、名前が刻まれた金属プレートにじっと手をあて、亡くなった人に思いを伝える姿が見られた。

 

大地震が襲った午後2時46分に黙とうをささげる人たち=祈りのパーク

大地震が襲った午後2時46分に黙とうをささげる人たち=祈りのパーク

 

 職場が鵜住居で、防災センターに逃げ込み犠牲になったと見られる鈴木雅恵さん(当時31)の姉佐々木恵さん(43)は、今なお行方不明の妹に「どこにいるの…。早く見つかって」と切なる願いを祈りに込めた。

 

 「結婚して世帯が違っても毎日のように会っていたので、いなくなるという実感がまだない。(遺体も)見つかっておらず、かける言葉が見つからない」

 

 震災では雅恵さんの夫の両親も犠牲に。恵さんは芳名板の並び替えに「3人の名前が同じ場所に並んだだけでも良かった」と話す。

 

 恵さん家族は夫の職場が被災したため、盛岡市に転居した。あれから9年―。「沿岸から離れたことへの悔いというか何というか。(複雑な思いを抱えながら)淡々と過ごす日々だった。周りに同じ境遇の人もいないので…」。内陸避難者ならではの葛藤ものぞかせた。

 

(復興釜石新聞 2020年3月14日発行 第875号より)

 

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