釜石艦砲射撃の惨状、顔知らぬ父への思い 同姓同名の2人が伝える記憶 歌声でつなぐ


2024/07/19
釜石新聞NewS #地域

2人の佐々木郁子さんが戦争の記憶と平和への願いを伝えた

2人の佐々木郁子さんが戦争の記憶と平和への願いを伝えた

 
 太平洋戦争末期の釜石市を襲った艦砲射撃を題材にした合唱組曲「翳(かげ)った太陽」を歌う会は13日、曲への理解を深めるため「戦争体験者のお話を聞く会」を同市小川町の市働く婦人の家で開いた。語り手を務めたのは市内で暮らす2人の“佐々木郁子”さん。看護師の見習時代に見た艦砲射撃の惨状、顔を知らぬ父への思いをそれぞれ言葉にした。「あのような悲惨さを二度と繰り返さぬよう、平和の意味をかみしめて」。一回り以上、歳の離れた2人が強調したその願いを、合唱メンバーらは心に刻みながら記憶を歌い継ぐ。
 
小学生の手を握って「平和を守って」と語りかける94歳の佐々木郁子さん

小学生の手を握って「平和を守って」と語りかける94歳の佐々木郁子さん

 
 終戦が迫っていた1945年の夏。釜石は、米英連合軍の艦隊から2度の艦砲射撃を受けた。「ビューン!ガーン!ドーン!」。爆撃の始まり、砲弾の炸裂する音、地面の揺れ、避難した防空壕(ごう)や変わり果てた街の様子を生々しく語ったのは甲子町の佐々木郁子さんで、94歳になる。
 
 「戦後79年の歳月が流れた。7月14日と8月9日、釜石艦砲の惨状は…生き地獄でしたよ。その日が来るたびに思い出され、消え去ることはありません」。2度の攻撃で市内に打ち込まれた砲弾は5300発以上。市民ら782人(市調べ)の死亡が判明している。
 
 当時は15歳、看護師の見習として働いていた釜石製鉄所病院には負傷者が次々運ばれてくる。「苦しい、助けて」。他界していった人々、叫ぶような患者の声が今も耳に残る。「どうすることもできず悲しく、つらい日々でした」。絞り出すように胸の内を告白した。
 
 戦後、心は傷つきながらも立ち直り、乗り越え、日本は平和国家になった。「自然が引き起こす天災を防ぐことはできないが、戦争という人災は防ぐことができます。どうか皆さん、力を合わせて永遠の平和国家を守っていくようお願いしたいです」。目を見開き、言葉に力を込めた。
 
顔も知らぬ父の面影をたどった旅について話す80歳の佐々木郁子さん

顔も知らぬ父の面影をたどった旅について話す80歳の佐々木郁子さん

 
 戦争遺児として体験を語った平田・尾崎白浜の佐々木郁子さんは、80歳。1944年9月に満州(中国東北部)に赴いた父正雄さんが故郷に戻ってくることはなかった。45年4月、北安(ペイアン)で病死したらしい。当時は1歳になったばかりの頃。父親という存在自体がよく分からないまま戦後を過ごした。
 
 顔も姿も分からない“父の存在”を感じたのは、2009年に日中友好訪問団として現地を訪れた時。亡くなったとされる病院の敷地に立つと、「白衣を着た父が見ているような思いに駆られた」という。大きくて赤いと言われる満州の太陽を目の当たりにし、「同じ景色を見たんだなと感傷的になった。同時に、同じ土を踏むことができたという喜びもあった」と明かした。
 
 一緒に訪れた青森の男性が発した言葉、姿が忘れられない。「親父―!いま迎えに来たぞ…一緒に帰ろう」。積年の思いが、ほとばしるような叫びに号泣した。
 
 「父は遺骨もない」。同じように家族の元に帰っていない人たちがこの地にいると強く感じた。「日本の平和は大きな犠牲の上にある。戦争は何も生まない。残るのは憎しみ、むなしさ…。生きたくても生きられなかった人たちの思いを大事にしてほしい。平和の意味をかみしめ、命を大切にしなければ」と訴えた。
 
「二度と戦争が起こらないように」。2人の願いは同じ

「二度と戦争が起こらないように」。2人の願いは同じ

 
真剣な表情で話に耳を傾ける「翳った太陽」を歌う会メンバー

真剣な表情で話に耳を傾ける「翳った太陽」を歌う会メンバー

 
 2人の話にじっと耳を傾けた小原湊太さん(甲子小5年)は「平和を守るという思いが伝わってきた」とうなずき、高橋杏奈さん(釜石中2年)は「自分たちが暮らすまちに大変な時期があったと知った。今ある平和の大切さを伝えられるようにしたい」と受け止めた。合唱メンバーは感謝を込めて「青い空は」などを披露。「海」では、戦争の記憶をつなぐ語り手2人も声を重ねた。
 
記憶を受け継ごうと思いを込めて歌う合唱メンバー

記憶を受け継ごうと思いを込めて歌う合唱メンバー

 
 2005年に活動を始めた同グループが歌い継ぐ「翳った太陽」は、艦砲射撃で教え子を亡くした元小学校教師の石橋巌さん(06年他界)が記した絵手紙などを基に創作された全6曲17分の組曲。作曲を手がけた市内のピアノ講師最知節子さん(81)が指導し、市戦没者追悼式での献唱、学校でのコンサートなどを行ってきた。
 
 現在、合唱メンバーは小学5年生~80代の13人。ほとんどが戦争を体験していない世代で、菊地直美会長(61)は「お話し会で体験者のリアルな心に触れるのは大切な学びの機会になっている」と強調する。8回目となった今回も「大変な時代を生き抜いた2人の姿にグッとくる」と感情を揺さぶられた様子。体験者は減ってしまうが、少しでも多くの声を受け取る形は継続させ、「歌詞につづられた思いを感じ、理解し、仲間と気持ちを合わせて歌っていきたい」と前を向く。
 
戦争体験者の2人に寄り添う最知節子さん(左)

戦争体験者の2人に寄り添う最知節子さん(左)

 
 今年は8月2日に行われる原爆死没者追悼式、同9日に開催の市戦没者追悼・平和祈念式での献唱を予定するが、新メンバーの加入などもあって同組曲は歌わない。それでも、戦禍の記憶をつなぐため「声を上げ続けなければ」と最知さん。歌詞の中にある言葉を大切に、思いを一つに歌い上げる日を思い描きながら、練習を続ける。

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