「撓まず屈せず」合言葉に震災復興 釜石・野田武則市長が退任 4期16年…心残りなく


2023/11/20
釜石新聞NewS #地域

釜石市役所玄関前で退任のあいさつをする野田武則氏

釜石市役所玄関前で退任のあいさつをする野田武則氏

 
 釜石市の野田武則市長(70)は17日、4期目の任期を満了し、退任した。最後の登庁日となったこの日、市職員らを前に訓示。「撓(たわ)まず屈せず―を合言葉に職員、市民とともに歩んだ」と任期の大半を費やした東日本大震災後のまちづくりを振り返り、「多くの努力と思いが一つになったのが釜石の復興。たくさんある可能性に花を咲かせ続けて」と託した。退庁時には市役所本庁舎1階の玄関付近で花束を受け取り、一礼。多くの職員や市民から拍手で見送られ、晴れやかな表情で16年間通った庁舎を後にした。
 
 野田氏は甲東幼稚園(現・甲東こども園)の園長などを経て2003年に県議初当選。2期目だった07年、前市長の死去に伴う市長選に無所属で出馬し、無投票で初当選した。1期目途中に震災が起き、復旧・復興業務に尽力する中で11、15、19年と連続無投票で当選した。
 
 陣頭指揮を執った復興まちづくり事業は震災から12年を経て、今年3月に関連するハード事業が完了。三陸沿岸道路の整備や大型商業施設の誘致、岩手大釜石キャンパスの設置など、まちの再生に力を注いだ。「ピンチをチャンスに。震災前よりもいい街に」と“夢のようなこと”にも挑戦。15年に橋野鉄鉱山の世界遺産登録、19年には新設した釜石鵜住居復興スタジアムでのラグビーワールドカップ開催を実現させた。
 
市職員を前に最後の訓示。4期16年を振り返った

市職員を前に最後の訓示。4期16年を振り返った

 
 この日は庁内各課を回ったり、幹部職員と懇談した後、議場で最後の訓示に臨んだ。「釜石ならではの復興の形はできた」と総括した一方、人口の減少や地域経済の縮小など市民の生活環境は厳しく、「適切に対応できなかったことは反省点」とした。
  
 そして、「悔やんでも悔やみきれない」と無念さをにじませたのは、震災で多くの避難者が犠牲となった鵜住居防災センターでの出来事。「防災センターという名前は簡単につけてはいけない。避難場所ではない所を訓練で使ってはいけない。ハザードマップは100%安全とは言い切れない」と教訓を残した。命の大切さを痛切に実感し、「自分の命、人生を守ることは他人の命、人生も守ること。そんな姿勢であり続ける」のを目指し、つくり上げた防災市民憲章の継承を強く望んだ。
 
 「16年の長い間、ありがとうございます」と協力に感謝した野田氏。懸案となっていた新市庁舎の建設や専門学校の開校も将来の見通しが立ったといい、「心残りなく去ることができる」と肩の荷を下ろした。ただ、課題は残るとし、「次の市長とともに市勢の発展、市民一人一人の幸せのため力を尽くしてほしい」と求めた。
 
多くの市民らに見送られながら市役所を後にした

多くの市民らに見送られながら市役所を後にした

 
 本庁舎前では市民らが待ち構え、花束を渡して「お疲れさまでした」「ありがとう」などの声とともに見送った。

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