市民の心耕し45年―「かまいしの第九」重ねた歴史、思い共有し万感の最終公演 次世代の芽吹きも期待


2023/12/25
釜石新聞NewS #地域

最終公演となった第44回かまいしの第九=市民ホールTETTO

最終公演となった第44回かまいしの第九=市民ホールTETTO

 
 45年の長きにわたり、師走の釜石市に“歓喜の歌”声を響かせてきた「かまいしの第九」。地域の音楽文化発展の礎を築き、経済低迷や震災など困難に立ち向かう市民に勇気と希望を与え続けた伝統の演奏会が17日、惜しまれながら幕を閉じた。メンバーの高齢化や活動資金減少などで「今回を一区切り」とした実行委。初代指導者の故渡邊顕麿さんの教えを脈々と受け継ぎ、釜石の第九イズムを貫いたメンバーは、あふれる思いを歌声に込め、同演奏会を愛する聴衆と感動のフィナーレを迎えた。
 
 釜石市民ホールTETTOで開かれた最終公演。会場には市内外から約550人が集まった。オーケストラは指揮者の瓦田尚さん(40)=釜石出身、東京在住=率いるアマチュアオケ「ムジカ・プロムナード」、釜石市民吹奏楽団の団員ら総勢60人。合唱隊は「かまいし第九の会」を中心とした市内外の115人で編成した。
 
 演奏会は、東日本大震災をテーマとした「明日を」「群青」の2曲の合唱で幕開け。続いて、ベートーベンの交響曲第9番1~4楽章が演奏された。本県出身の声楽家4人がソリストを務め、管弦楽の壮大な演奏、時代、世代を超えてつながれた魂の歌声がホールいっぱいに響き渡った。
 
4人のソリストは本県出身者(左からSoprano:土井尻明子さん、Alto:在原泉さん、Tenor:澤田薫さん、Bass:小原一穂さん)

4人のソリストは本県出身者(左からSoprano:土井尻明子さん、Alto:在原泉さん、Tenor:澤田薫さん、Bass:小原一穂さん)

 
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 同演奏会は1978年、旧市民文化会館のこけら落とし公演として行われたのが始まり。前年に帰郷し、実家の寺を継いだ渡邊顕麿さん(1931-96)がそれまでの合唱活動の経験を生かし、市内で指導を始めた中での新たな挑戦だった。初期メンバーはドイツ語の辞書を片手に歌詞の意味を読み解き、渡邊さんの教え「曲に込められた精神をそれぞれの生活、生き方に反映させる」ことを忠実に守りながら、演奏会を重ねてきた。
 
初代指導者・指揮者の渡邊顕麿さん(左上)。合唱指導をする渡邊さん(右上)。釜石市民文化会館で行われていた第九演奏会(1991年、下)=写真提供:実行委

初代指導者・指揮者の渡邊顕麿さん(左上)。合唱指導をする渡邊さん(右上)。釜石市民文化会館で行われていた第九演奏会(1991年、下)=写真提供:実行委

 
子どもから高齢者まで多くの市民が参加した1999年の第九演奏会=写真提供:実行委

子どもから高齢者まで多くの市民が参加した1999年の第九演奏会=写真提供:実行委

 
 87年からは第九以外の大曲にも挑戦。渡邊さん他界後は、遺志を継いだ山﨑眞行さんが指導にあたり、両輪での合唱披露は2014年まで続いた。03年からは次世代への合唱文化継承を目指し、市内の中学校が毎年順繰りに歌う「オーケストラと歌おう」のコーナーも開設。渡邊さんが残した「学び、耕し続ける文化」を着実に実践してきた。
 
 最大の存続危機は2011年の東日本大震災。メンバーの犠牲、被災、会場の市民文化会館の全壊でしばらくの活動休止もやむを得ない状況だったが、「被災者が立ち上がる力に」と開催を決断。校舎を失った釜石東中の生徒が第九の合唱に声を重ね、大きな感動を呼んだ。被災後の6年間は釜石高体育館が会場となり、17年の市民ホール落成のこけら落とし公演が、くしくも初演時と同様、この第九演奏会となった。
 
東日本大震災があった2011年、釜石高体育館で行われた演奏会。釜石東中の全校生徒が第九の合唱にも参加した

東日本大震災があった2011年、釜石高体育館で行われた演奏会。釜石東中の全校生徒が第九の合唱にも参加した

 
2017年、釜石市民ホールTETTOのこけら落とし公演となった第40回かまいしの第九

2017年、釜石市民ホールTETTOのこけら落とし公演となった第40回かまいしの第九

 
 このまま順調に行くかと思われたが、予想もしなかった新型コロナウイルス感染症の大流行で20、21年は開始以来、初めての中止に追い込まれた。昨年、復活開催したものの、さまざまな情勢の変化で「事業を支えるだけの“体力”を維持できなくなった」として、本公演を最後とすることを決めた。
 
 万感の思いで迎えたフィナーレ。拍手が鳴りやまない中、ステージに招かれたのは、2代目指揮者として25年間、演奏会を率いた山﨑眞行さん(73)。これまでの功績に瓦田さんから感謝の花束が手渡された。山﨑さんは昨年の復活演奏会でも指揮する予定だったが、病のため急きょ降板。この日は客席から演奏を見守り、「みんな頑張ってくれた。一生懸命の第九が聞けてうれしい」と喜んだ。ここまで続いた原動力を「みんなの情熱」とし、「今日で終わりではないと感じる。きっと(何らかの形で)続いていくと思う」と実感を込めた。
 
2019年まで指揮者を務めた山﨑眞行さんがステージに登場。合唱メンバーや聴衆から感謝の拍手が送られた

2019年まで指揮者を務めた山﨑眞行さんがステージに登場。合唱メンバーや聴衆から感謝の拍手が送られた

 
昨年に続いて指揮をした瓦田尚さん(右)。最後は聴衆も一体となり「歓喜の歌」を響かせた。同演奏会恒例のフィナーレ(左)

昨年に続いて指揮をした瓦田尚さん(右)。最後は聴衆も一体となり「歓喜の歌」を響かせた。同演奏会恒例のフィナーレ(左)

 
「これまで感動をありがとう!」出演者をたたえる拍手は鳴りやまず

「これまで感動をありがとう!」出演者をたたえる拍手は鳴りやまず

 
 終演後のロビーでは出演者と来場者が入り交じり、第九でつながれた強い絆をあらためて心に刻み合った。支えてくれた家族からねぎらいの言葉を受ける人も。孫から花束を贈られ喜びの笑顔を見せたのは、通算18回目の出演を果たした土橋郁子さん(78)。本公演には夫博聰さんも来場する予定だったが、11月上旬に突然の急逝(享年79)。音楽好きだった夫のためにもと、悲しみを乗り越えステージに立った。「どこかで聞いていてくれたかな…」。第九は生きがいだった。「今はやりきったという感じ」。長男照好さん(52)は「父にも母の思いが届いたのではないか。演奏も感動的だった。始めた人たちの思いを感じることができた気がして…」と余韻に浸った。
 
「おつかれさま!」お孫さんから花束を贈られ、喜びの笑顔を輝かせる土橋郁子さん(左)

「おつかれさま!」お孫さんから花束を贈られ、喜びの笑顔を輝かせる土橋郁子さん(左)

 
 互いの演奏会に出演し合い、釜石のメンバーとは約30年の付き合いという八戸メンネル・コールの河原木久一さん(89)は「釜石の人たちは心が温かい。私たちのことも快く受け入れてもらった」と感謝。震災があった年に被災した中学生と一緒に歌った演奏会が「忘れられない。あの歌声に三陸の人たちがどれほど励まされたことか」と思いをはせた。
 
 この日は過去に出演経験がある人たちも多数、駆け付けた。渡邊さんが立ち上げた親と子の合唱団ノイホフ・クワィアーに家族3人で所属していた山本美津子さん(86)は、旧市民文化会館のこけら落とし公演に夫、娘と出演した経験を持つ。「(当時が)とても懐かしくてね。アンコールでは一緒に歌った」と声を弾ませ、「第九(演奏会)は市民の大事な宝物だった。もう1回やってほしい」と復活開催に望みを託した。
 
 第1回からの合唱メンバーで最終公演を迎えたのは5人。20代後半から参加してきた菊池玲次さん(71)は「たくさんの先輩方に支えられ、ここまで続けてこられた。亡くなった方も多いが、本当に感謝しかない」と、人生の半分以上を共に歩んだ第九に深い思いを寄せる。この日は、長年一緒に歌い、プライベートでも親交のあった市芸術文化協会前会長の岩切潤さん(2017年逝去、享年82)のちょうネクタイを胸に忍ばせて歌った。
 
終演後、さまざまな思いを分かち合った出演者と来場者。左上は感謝の気持ちを伝える実行委の川向修一会長

終演後、さまざまな思いを分かち合った出演者と来場者。左上は感謝の気持ちを伝える実行委の川向修一会長

 
 地元紙の記者として初の第九発会式を取材した際、渡邊さんに声を掛けられ、合唱メンバーの一員になった実行委の川向修一会長(71)。最後のステージでは渡邊さんの教えの一言ひと言、活動を共にした故人の顔が浮かび、目を潤ませる場面もあった。多くの人たちと心を通わせ歌い続けた45年―。「ひとつの形としての演奏会は終わるが、自分たちのやってきたことが種となり、この先、新たな形で芽吹いてくれれば…」。“一区切り”の言葉に出演者も聴衆も「いつかまた…」との期待を込める。
 
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