橋野鉄鉱山高炉場跡、長屋の建物遺構を確認〜発掘調査の成果報告、12月まで遺物展示
種砕水車場から続く排水路跡で説明を聞く見学者
釜石市の世界遺産「橋野鉄鉱山」の高炉場跡で市が実施している発掘調査の成果が7日、一般に公開された。調査エリアは二番高炉の北側。高炉稼働時の記録として残されている絵巻を基に発掘調査を行い、種砕水車場、3つの長屋の建物遺構を確認したことが報告された。出土した遺物は、同鉄鉱山インフォメーションセンターで12月6日まで展示されている。
調査は8月24日から開始。盛岡藩お抱え絵師が1861(文久元)年ごろ描いたとされる絵巻「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図(しほんりょうてっこうざんおやまうちならびにこうろのず)」(県指定文化財、釜石製鉄所所有)を基に発掘を進めてきた。
「種砕水車場跡」では絵巻に描かれている水車場と排水路の痕跡を確認。水車を回している箇所の木枠部分のような跡が見つかり、水車の大きさや建物の範囲が推定される。建物廃棄時に、水車場や排水路の石垣を崩しながら廃棄している状況もうかがえた。
「鍛冶長屋跡」では、明確な建物礎石は確認できなかったが、粘土塊が入った土坑跡が南北に並ぶ状況が見られた。用途は不明だが、掘立柱の穴の可能性も。鍛冶長屋の南隣「大工長屋跡」では建物礎石5個を確認。約180センチ(1間)間隔で並ぶ。現在の一番高炉に続く見学通路に重なる形で、長方形の建物敷地が想定される。
二又沢川により近い「長屋跡」では建物礎石14個を確認。礎石間隔約180センチと約270センチ(1間半)の軸があり、面積約39平方㍍(約12坪)の建物が想定される。絵巻にはないが、長屋跡より一段高い平場も調査した結果、炭が密集し底面が焼けている穴が確認された。規模が小さいことから、伏焼窯あるいは種焼窯の可能性が考えられるという。
橋野高炉は1858(安政5)年から94(明治27)年まで稼働。最大で3基の高炉が操業し、67(明治元)年から4年間は銭座も併設された。絵巻によると、作業員の長屋は三番高炉の西側にもあり、主に盛岡など遠方から働きに来ていた人が使っていたと見られる。
鍛冶長屋跡からはフイゴの羽口、大工長屋跡からは角くぎ、かすがいと場所の特定につながる遺物が出土。馬のてい鉄、明治時代の銭など同所の鉄産業を物語る遺物も。水車場跡からは、水車が使われなくなって埋める際に捨てたと見られる高炉の耐火れんが、食器(陶磁器)や飲料、薬瓶の破片などが見つかっている。
発掘を担当する市世界遺産課の高橋岳主任(37)は「建物の位置は、ほぼ絵巻通り確認できた。見学者も当時の雰囲気を少しでもイメージできたのでは」と話す。
二番高炉周辺の発掘調査は本年度でほぼ終了。結果は報告書にまとめるほか、パンフレットの改編にも反映させる。現地の保護、表示法などについては今後、検討委員会で話し合う。
この日の現地説明会では、三番高炉ブロックとして来年度、本格調査が予定される「御日払所跡」の試掘調査の結果も報告された。
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