「井上ひさし記念館」建設へ、ガバチョプロジェクト〜母(マスさん)兄(滋さん)の手紙など公開、歌声広場もスタート


2016/10/26
復興釜石新聞アーカイブ #文化・教育

井上ひさしさんに関する資料の展示を開始したガバチョ・プロジェクト事務所で、山崎理事長(左)と井上副理事長

井上ひさしさんに関する資料の展示を開始したガバチョ・プロジェクト事務所で、山崎理事長(左)と井上副理事長

 

 釜石市にゆかりの深い小説家・脚本家、井上ひさしさん(1934~2010)に関する「井上ひさしファミリー記念館」の建設を目指すNPO法人ガバチョ・プロジェクト(山崎眞行理事長)は今月から、小佐野町の事務所で井上さんや母マスさん、兄滋さん(共に故人)の手紙など資料の定期展示を始めた。展示資料に囲まれながら毎月1回、井上さんファミリーや作品について語り合い、生演奏の伴奏で歌を楽しむ「歌声広場」も開始した。

 

 同法人は2012年10月に設立認定を受け、天神町の仮設商店街に事務所を開設。昨年7月、事務所を小佐野町1丁目、JR釜石線・小佐野駅向かいに新築した建物の1階に移した。ミニホールの形で、広さは約40平方メートル。ピアノがあり、テーブルも配置。壁面を展示スペースにした。

 

 新しい事務所では、音楽家として活動する山崎理事長の招きにより、第一線で活躍する演奏家などのコンサートや講演会を開催。記念館の開設に向け、釜石で暮らしていたマスさん、滋さんと交わした手紙、井上さんが仙台や東京で過ごした学生時代の生活から、文筆活動に入った初期までの文書資料、戯曲のポスター、写真などを展示している。

 

展示機能を備えた小佐野町のガバチョ・プロジェクト事務所

 

 マスさんは1991年5月に84歳で、滋さんは2007年8月に78歳で、井上さんは10年4月に75歳で亡くなった。同法人の井上淑子副理事長は滋さんの妻、井上さんの兄嫁にあたり、母マスさんの晩年は一緒に暮らした。「義母(はは)は、息子たちから届いた便りを数年後、まとめて返送していました。理由は不明ですが、そのおかげで資料に残すことができました」と淑子さん。

 

 資料には、井上さんが1953年、上智大学に入学した夏休みにマスさんの暮らす釜石に帰り、そのまま休学して2年半勤めた現在の国立釜石病院に提出した履歴書の下書きもある。自伝的青春小説「青葉繁れる」でも「履歴書の下書きを5枚書いた」と触れており、その1枚と推測される。

 

 仙台一高在学中、当時は山形県で暮らしていたマスさんに生活費の増額を求めた手紙は、国の省庁が財務省と折衝する予算要求文書を連想させる。書籍代や用紙代が数十円規模なのに、理詰めで大げさな言葉づかい。その手紙を読むマスさんの心中を想像させ、親子の心の通い合いをうかがわせる。

 

 滋さんは音楽家を志しながら、病気や稼業を継ぐために諦めた。ところが、井上さんの舞台作品「藪原検校」のポスターには「作曲/井上滋」とあり、ギターを演奏した。兄弟の温かい心のありようをしのばせる。

 

 同事務所の無料公開は毎週土曜日の午後1時から4時まで。歌声広場は入場料1千円(ドリンク付き)。毎月1回の開催で、11月5日と12月3日を予定する(いずれも午後1時から3時まで)。問い合わせはガバチョ・プロジェクト(電話0193・27・5044)へ。

 

(復興釜石新聞 2016年10月22日発行 第531号より)

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NPO法人ガバチョ・プロジェクト
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