世界遺産登録から5年、往時の労苦に思いはせ〜橋野鉄鉱山「運搬路跡」たどる、要望に応え4年ぶりに見学会
当時の作業を想像しながら採掘場跡を見学
世界遺産登録から5周年を迎える釜石市の「橋野鉄鉱山」で9月26日、普段は一般公開していない「採掘場跡」と「運搬路跡」の見学会が開かれた。2016年8月の台風10号による豪雨で現場に向かう道が被害を受け、実施が見送られてきた見学会。4年ぶりの企画は当初7月に予定されていたが、雨天で中止。参加申込者の熱い要望に応え、この日の開催が実現した。
市内からの一般参加者14人と市の担当者ら7人で、高炉場跡から南に約2・6キロの山中にある採掘場跡に向かった。案内役は市世界遺産課課長補佐の森一欽さん。二又沢と呼ばれる川に沿った林道を進むと、川は途中で東と西に分かれており、一行は西又沢上流にある採掘場跡を目指した。
前日に降り続いた大雨の影響で浸水した道を迂回(うかい)。高炉稼働時に人や牛が鉄鉱石や木炭を背負って運んでいた運搬路跡を歩いた。幅2メートルに満たない道は、足を踏み外せば転落する恐れも。参加者は足元に気を付けながら一列になって進み、険しい道を往復していた当時に思いをはせた。
4年前の台風では西又沢上流部の決壊で、採掘場跡に通じる道の一部が大規模流失。伏流水が地表に流れ出るなど復旧は困難な状態となっており、今回の見学会では新たに開拓したルートをたどった。
急峻(きゅうしゅん)な道を乗り越え、出発から約2時間後、標高約900メートル地点に位置する「露天掘り」の現場に到着した。ここでは人力で岩を砕き、地表に出てきた鉄鉱石を採掘していた。山肌の形状は人が掘ったことを物語り、土留めの石垣も見られる。むき出しの岩には磁石が付く部分があり、鉄鉱石の産出場所であったことがうかがえる。近くには作業員の長屋があったと見られ、炊事用の釜などが出土することもあるという。
橋野鉄鉱山での採掘は、大島高任が仮高炉で操業に成功した1858(安政5)年から始まった。最盛期には3基の高炉が稼働したが、1894(明治27)年に全て閉鎖。以降は鉄鉱石の採掘のみ行われ、1979(昭和54)年まで続けられた。
エリア内には、半地下式の採掘場跡、大橋につながる坑道の入り口、坑道掘りの発破用火薬の収納庫跡なども残り、参加者は興味津々で森さんの話に耳を傾けた。
父、曽祖父、夫が製鉄所勤務だったという甲子町の伊藤雅子さん(61)は、家族を支えた鉄に縁を感じ、鉄の歴史の勉強を始めたばかり。「当時の並大抵ではない苦労がよく分かった。疑問に思っていたことも解明できた」と大喜び。夫博友さん(63)は現場を熱心に写真に収め、「先人の努力があって、われわれの今がある。ありがたいですね。貴重な世界遺産をもっとPRしていかないと」と実感を込めた。
「普段は非公開なので、皆さん好奇心をかき立てられるようだ。道のりの険しさや危険を周知しながら見学会を続けていければ」と森さん。世界遺産登録5周年にあたり、「遺産の管理、ガイドの体制はできている。来場者年間1万3千人を維持しながら、地元への経済効果にもつなげられたら」と願った。
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