新ホールに響く復興の「第九」〜思いはひとつ「歓喜の歌」、釜石市民ホール“こけら落とし”
釜石市民ホールの“こけら落とし”を祝う40回目の「かまいしの第九」。800人余りの聴衆も一つになった
釜石市民ホール(愛称TETTO)の完成を祝うベートーベン「第九」演奏会(同実行委員会主催、釜石市、市教委共催)は10日、大町の同ホールで行われた。1978年、旧市民文化会館の落成を記念し「かまいしの第九」がスタートして39年。ちょうど40回目の節目の演奏会はくしくも、旧会館に代わる新ホールの“こけら落とし”と重なった。人と人、地域と地域、時代と時代をつなぎながら長く続いてきた釜石市民の第九。東日本大震災の惨禍を乗り越え、前に進もうとする市民の熱い思いを乗せ、新しいホールいっぱいに「歓喜の歌」が響き渡った。
開演の1時間以上も前から列をつくり入場を待つ市民ら
くしくも40回の節目と重なる
会場のホールA(大)は800人余りの聴衆でほぼ満席。旧市民文化会館の開館式典で演奏されたファンファーレの旋律が20人のメンバーで再現され、演奏会は華やかに開幕した。
再現された開幕のファンファーレを演奏するメンバー
最初のステージでは甲子中(小林智校長、生徒164人)の全校生徒が校歌など2曲を演奏。続く「第九」では、48人編成のオーケストラに合わせ、約160人の合唱メンバーが壮大な歌声を響かせた。アンコールの声に応え、客席の市民も一緒になって「歓喜の歌」を演奏。拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
開館記念のステージで高らかに校歌を歌う甲子中の全校生徒
合唱メンバーの中には震災からの復興事業に力を尽くしてきた人の姿もあった。今年10月まで建設会社の現場監督として嬉石町や松原町でかさ上げ工事に従事した相見秀毅さん(52)=さいたま市=は「感激もひとしお。温かく迎え入れてくれた釜石とは今後もつながりを大切にしたい」。来年からは釜石と縁のある東京都荒川区の第九に参加すると気持ちを固めている。
3年前、志願して大阪府から沿岸広域振興局に派遣された為実一之さん(50)は釜石に来て初めて第九と出会った。「新しいホールで歌えて感無量。こみ上げるものがあった。釜石の第九からたくさんのものをもらった。感謝の気持ちしかない」と思いをかみしめた。来年春には大阪に戻る。
初めて第九に足を運んだ定内町の県職員生田輝久さん(24)は「素晴らしかった。震災後も絶やすことなく演奏を続けてきた方々に感謝の思いでいっぱい」と、たたえた。
復興への熱い思いを込めた第九に拍手を送る市民ら
第九と甲子中の合唱に“ダブル出演”した石山友里花さん(2年)の母秀子さん(46)は「こけら落とし公演の出演は一生心に残る大切な思い出になったと思う。貴重な経験を将来に生かしていってもらえたら」と願った。
記念のステージに孫と一緒に立った合唱メンバーも
今年9月に急逝した釜石市芸術文化協会会長、岩切潤さん(享年82)の妻久仁さん(74)は、メンバーの一人が「岩切さんのネクタイを胸に歌いたい」と借りにきたことを明かし、「もう泣けてきてね…。きっと皆さんと一緒に歌っていたのでは」と胸を熱くした。
(復興釜石新聞 2017年12月13日発行 第647号より)
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