「賢治バイオリン」被災地癒す〜音で伝える「雨ニモマケズ」
宮澤賢治にまつわる話と演奏で復興を後押しした追悼公演
東日本大震災殉難者第七回忌追悼公演「宮澤賢治と奇跡の一本松~雨ニモマケズ」は12日、釜石市小川町の本門佛立宗慈念寺(尾形信欣住職)で開かれた。同宗東北北部布教区が主催。宮澤賢治の実弟・清六さんの孫にあたる宮澤和樹さん(花巻市)一家がトークライブを行い、約100人の観客の心を癒やした。
和樹さん(51)、妻のやよいさん(49)、娘の香帆さん(22)が出演。和樹さんは、賢治の作品を世に出すことに尽力した祖父・清六さんから聞いた賢治の人物像、作品に込めた思いなどを明かした。
ベートーベンやバッハの音楽を好んだ賢治はセロ(チェロ)を弾き、作詞作曲も手がけた。香帆さんは、陸前高田市の津波の流木などで作られたバイオリンと、賢治が所有していたバイオリンで賢治にちなんだ7曲を演奏。花巻農学校の教師だった時に作った応援歌や、有名な「星めぐりの歌」などを聞かせた。
津波バイオリンは1千人の演奏を目指し、国内外の奏者が弾き継いでおり、香帆さんで502人目となった。やよいさんはピアノ伴奏で親子共演したほか、賢治の詩の朗読を披露した。
和樹さんが賢治作品の特徴として示したのは、童話と詩の創作姿勢の違い。法華経に興味を持っていた賢治は、その教えを童話という形で伝えようとしたのに対し、詩は自分を表現する方法としていた。その考え方が最も表れているのが「銀河鉄道の夜」で、清六さんは「終着点のない旅が仏教でいう『求道(ぐどう)』そのものだ」と話していたという。
誰もが知る「雨ニモマケズ」は賢治が結核で亡くなる2年前に、体が弱る中、自分の手帳にしたためたもの。「こう生きたいが生きられない」という気持ちから、最後の祈りを込め自分に向けて書いた言葉とされる。本文の後には「南無妙法蓮華経」と〝行〟の字が入った4菩薩の名前が記されており、これが「東二病気ノコドモアレバ〝行ッテ〟看病シテヤリ…」など東西南北で始まる一節に影響しているという。
和樹さんは「震災後、雨ニモ―はいろいろな形で読まれているが、誰かに聞かせて一緒に頑張ろうというようなことではなく、あくまでも自分に向けた言葉として捉えてもらえば賢治さんも喜ぶのでは」と話した。
この公演は、同宗本山のある京都府の京都佛立ミュージアムが縁をつなぎ実現。七回忌を機に法要だけではない心の安寧を願い、被災地では初の音楽公演を企画した。同ミュージアムのマネジャーを務める香川県高松市、妙泉寺僧侶の小野山淳鷲さんは「自分の価値観(大事なもの)にあらためて目を向けるには、こういう企画が必要。学ぶことも多いと思う。祈ることで力をもらい、できることを一歩ずつという法華経の精神は、賢治さんの生き方と通じる」と共感した。
(復興釜石新聞 2017年3月15日発行 第571号より)
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