震災10年 ラグビーの絆を後世に ラグビッグドリームで子どもたち交流
ラグビッグドリーム「絆マッチ」で全力プレーを見せる釜石(赤)と静岡の中学生
「ラグビッグドリーム2021with釜石絆の日」は11月28日、釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムで開かれた。釜石ラグビッグドリーム実行委(小笠原順一会長)、釜石ラグビー応援団(中田義仁会長)が主催し、中高生の試合や小学生のラグビークリニックを開催。東日本大震災からの復興が進んだラグビーの聖地・釜石で、子どもたちが仲間との絆を深め、未来への夢や希望を育んだ。
クリニックには県内外のジュニアチームから約100人が参加。スペシャルアドバイザーにワールドカップ(W杯)元日本代表の伊藤剛臣さん(釜石シーウェイブスRFCアンバサダー)、五郎丸歩さん、廣瀬俊朗さん、女子ラグビーでリオデジャネイロ五輪出場の桑井亜乃さん、日本代表9キャップの平野恵里子さん(大槌町出身、釜石高卒)を招き、学年ごと3グループで指導を行った。低・中学年は遊びの要素を取り入れながら、ラグビーの基本動作や練習メニューを体験。高学年は試合形式の練習をし、仲間やアドバイザーと交流を深めた。
廣瀬俊朗さん、平野恵里子さんとゲームなどを楽しむ小学3・4年生
五郎丸歩さん(中央)が見守る中、試合形式で行われた5・6年生のラグビークリニック
釜石シーウェイブス(SW)ジュニアの小野鳳君(平田小6年)、畠山一気君(階上小同)は「貴重な機会。日本代表(経験者)に会えることは少ないので楽しかった」と感激の表情。キャプテンの佐々木璃音さん(甲子小6年)は「今までできていなかった基本を確認できた。中学生になってもアカデミーでラグビーを続ける。平野選手のように、いつか私も世界(の舞台)で輝ける選手になりたい」と夢を描いた。
「絆マッチ」と題した中学生の試合は、静岡ブルーレヴズラグビースクールと釜石SWアカデミーが対戦した。静岡ブルーレヴズ(前ヤマハ発動機ジュビロ)は2011年、震災から3か月後の6月に釜石市を訪問。被災者のための復興支援活動に奮闘し、被災後初めて試合を行う釜石SWと対戦した。両チームの姿は市民に復興への力を与え、19年のラグビーW杯日本大会釜石誘致という一大目標を掲げる足掛かりとなった。以来、18年8月の同スタジアムオープニングイベントでの記念試合など交流が続く。
釜石シーウェイブスアカデミーと静岡ブルーレヴズラグビースクールの一戦
ゴール前の攻防を抜け出し、釜石がトライ=後半
世代を超え、受け継がれるラグビーの絆。静岡と釜石の中学生はW杯のレガシーが残るスタジアムで持てる力を発揮し、10年後の再対戦を夢見てさらなる精進を誓い合った。中学生の試合の前には、釜石・大船渡の3高校、宮古の2高校がそれぞれ結成した合同チームによる交流マッチも行われた。
11年の交流試合以降、毎年釜石に足を運んできた五郎丸さんは、スタジアム周辺の景色の変遷に10年という復興の歩みの重さを実感。台風の影響で中止されたW杯カナダ対ナミビア戦について、「いつかこの地で実現することを1ラグビー人として願う」。釜石の子どもたちにも思いを寄せ、「この鵜住居から成長した選手が桜のジャージーを着て戦う姿を見てみたい」と期待を込めた。
クリニックで小学生にアドバイスする五郎丸さん
平野さんは「W杯の成功は子どもたちの力による部分も大きい。間近で見ていることは貴重な経験。ラグビーで培われてきた歴史あるまち釜石に誇りを持ち、これからも胸を張って競技を楽しんでほしい」と願った。
W杯日本大会出場20カ国を各国の国歌でもてなすプロジェクト「スクラムユニゾン」を主導した廣瀬さん(元日本代表キャプテン)はメンバー2人と来釜。絆マッチの前後に、日本と次回W杯開催地フランスの国歌を歌った。「ずっと来たかった釜石」への訪問を喜ぶ廣瀬さんは「W杯で釜石は世界から注目を集めた。ラグビーが根付くこの土地をみんなで支え合い、未来につないでいければ」と協力に意欲を示した。
今回のイベントは、市内の小中学生がW杯を記念して定めた9月25日の「絆の日」に合わせて開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、この日に延期された。
釜石新聞NewS
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