釜石はまゆり会 31回の集い、首都圏在住160人が参加〜ふるさと復興へ 支援継続誓い合う
最後に「釜石小唄」に合わせて踊る、はまゆり会の集い参加者
首都圏在住の釜石市出身者やゆかりの人々でつくる釜石はまゆり会(石森寛会長)の31回目の集いが4日、東京都荒川区日暮里のホテルラングウッドで開かれた。30周年の節目を超え新たなスタートとなった今回は約160人が参加。2019年ラグビーワールドカップ(W杯)開催地に決定、橋野鉄鉱山の世界遺産登録、釜石高のセンバツ出場と明るいニュースが続くふるさと釜石へ、「震災から復興するまでエールを送り続けよう」と誓い合った。
甲子園までバスで応援に駆け付けた石森会長(60)=町田市=は「スタンドで釜石ゆかりの人々が一つになれた。悲願の1勝も挙げてくれた」と母校の健闘をたたえ、「被災したふるさとの人々が前向きに頑張っている。首都圏にいる私たちの方が勇気や元気をもらっている」と感謝。「釜石は誇りです」と胸を張った。
総会の部では、震災後から取り組む募金活動で、首都圏以外の個人や団体を含め約4400万円の支援金が寄せられたことも報告。この1年間に寄せられた支援金の中から100万円が野田武則市長に託された。
野田武則市長に支援金を手渡す石森寛会長(左)
野田市長は「みなさんの寄付は被災者のために役立てられている」と返礼。「被災者の住まいの再建は本年度がヤマ場。ゆかりの人々とのつながりを大切にしながら釜石を発展させていきたい」と決意を述べた。
懇親会の部では、ラグビー日本代表応援ソング「楕円桜」をリリースしたボーカリスト渡瀬あつ子さん(南相馬市出身)が歌声を披露し、ラグビーW杯にエール。釜石出身のエミコ・ヴォイスさんもジャズボーカルなどを披露し集いを盛り上げた。最後に「釜石小唄」に合わせて参加者全員が踊り、釜石へ寄せる思いが一つになった。
中野区に住む飯野(旧姓阿部)みなさん(75)は只越町にあった薬局が実家。「こでられねーがら、こうして来てしまうんだべなー」と釜石弁丸出しで友人とはしゃいだ。高校時代の仲間と会うのが何よりの楽しみと言い、支援金の寄付は欠かさない。
「がんばろう釜石!」とエールを送釜石南高昭和43年度卒業生
上中島町の新日鉄社宅で生まれ育った佐熊恵美子さん(49)=千葉県市川市=は「違う顔が混在する環境の釜石で育った強みを実感する」。大船渡市三陸町吉浜に移り住んだ両親が気がかりで毎月1回は帰る。「高校時代の同級生との絆は震災前より強くなった。釜石出身と言えるのがうれしい」と誇らしげに語った。
震災で港町の実家を失った千葉誠さん(65)=千葉市=は介護保険のケアマネジャーとして今も活躍する。今回の集いには高校時代の同級生12人で参加。「釜石でW杯が開かれる3年後に同級会を予定し、幹事も決めた」と心待ちにする。
藤原綾子さん(がんばろう釜石プロジェクト)応援大使に
釜石はまゆり会の集いに合わせて釜石市は4日、釜石支援の有志団体を立ち上げて活動する藤原綾子さん(49)=渋谷区=を釜石応援ふるさと大使に委嘱した。同大使は藤原さんで31人目。
藤原さんは新浜町生まれ。釜石南高から文化女子短大に進み、ブライダル業のユミカツラインターナショナルに入社、アクセサリーデザイナーとして活躍する。
実家は「第十一福徳丸」を所有する漁家。釜石を離れて30年になるが、今でも「浜っ子」を自負。震災で東前町の実家は流失したものの、11、12年に釜石で「市民結婚式」を企画するなど、「がんばろう釜石プロジェクト」を展開する。
「(釜石市が地方創生策の柱に掲げる)”つながり人口”の増加に貢献したい」と抱負。「曳船祭りではいつもウチの船が先頭。『がんばらなくてもいいよ』と言われるまでやり続けたい」と明るく前向きに話す。
(復興釜石新聞 2016年6月8日発行 第493号より)
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