再び歌える日を願い 震災で中断も、本格練習を開始〜戦争体験に耳傾ける 「翳った太陽」を歌う会


2015/12/08
復興釜石新聞アーカイブ #地域

翳った太陽を歌う会

戦争体験者の話を聞き、語り継ぐとの思いを新たに歌声を響かせる翳った太陽を歌う会の会員ら

 

 釜石市の合唱グループ「翳(かげ)った太陽を歌う会」(菊地直美会長、会員17人)は26日、「戦争体験者の話を聞く会」を小川町の働く婦人の家で開き、米英軍による2度の釜石艦砲射撃(1945年)を経験した甲子町の佐々木郁子さん(86)が語る戦争の悲惨さに耳を傾けた。

 

 佐々木さんは、鈴子町にあった釜石製鉄所病院に看護師として勤務していた16歳の時に艦砲射撃を経験。爆撃の始まりから患者を防空壕(ごう)へ避難させる様子、2時間に及ぶ爆撃のあとの変わり果てた街や負傷者が次々運ばれる病院の様子などを生々しく語った。

 

 「苦しい、助けて」。夜間の巡回時、病院に響く患者のうめき声が耳に残り、「ゆっくり治療すると約束したのに、命をなくした人も多く、悔しさ、悲しさでいっぱいだった」と声を詰まらせた。終戦を告げる玉音放送は「無条件降伏で絶望、不安がある一方、解放される喜びや希望も湧いてきた」と、猛勉強し資格を取得した助産師としての活躍についても語った。

 

 佐々木さんは「想像できますか。今は本当に平和。天災は自然なので防げないが、戦争は人災で起こること。体験者でなくても悲惨さを繰り返さないため、戦争は絶対しない、平和国家を守ってほしい」と願った。

 

 同グループは2005年に活動を始め、今年で11年目。市戦没者追悼式での献歌、小学校でのコンサートなどを行ってきた。その中で歌い継いできた合唱組曲「翳った太陽」は、市内の戦争体験者2人の短歌や絵手紙を元に創作されたもの。会員のほとんどが戦争を体験していない世代で、曲への理解を深めようと同様の会をこれまで4回行い、体験者の心に触れながら戦争について学んできた。

 

 震災で活動場所の同家が避難所になるなど活動が中断。戦争の愚かさ、平和の尊さを訴えるこの組曲も、戦災の生々しい惨状が震災直後の情景と重なり、歌えなくなった。「震災の悲しい記憶を呼び起こすようで」と、同グループ講師で作曲者の最知節子さん(72)は振り返る。

 

 計6曲の組曲は全17分。戦後70年を迎えた今年、追悼式で短い前奏曲だけ披露した。市民ホールが完成した際、全曲披露できるよう、10月から本格的な練習を開始。これに合わせ、話を聞く会も再開することにした。

 

 震災当時会長を務め、今は大渡町のみなし仮設住宅で暮らす種市誓子さん(68)は「戦争は普通の当たり前の生活を奪う。混乱期の中を気丈に生き抜いた佐々木さんの姿を見聞きし、若い人に伝えていかなければとの思い、平和への願いが強まった」と感動。最知さんは「全曲歌える日が来るよう、一歩ずつ歩みを進めていきたい」と意欲を見せた。

 

 同グループでは会員を募集している。申し込みは婦人の家(電話23・2017)へ。

 

(復興釜石新聞 2015年11月28日発行 第440号より)

 

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