「釜石艦砲」学ぶ 紙芝居、体験者の生の声に 戦後生まれ「平和」「思い」語り継ぐ


2026/07/14
釜石新聞NewS #文化・教育

釜石小学校で行われた釜石艦砲射撃や戦争の歴史を学ぶ授業=7月3日

釜石小学校で行われた釜石艦砲射撃や戦争の歴史を学ぶ授業=7月3日

 
 太平洋戦争終戦直前、釜石市が連合軍艦隊による艦砲射撃を受けてから、7月14日で81年を迎えた。8月にも砲撃があり、その2度の「釜石艦砲射撃」の記憶と向き合う取り組みが市内で進められている。記憶のかけらを残す人、経験した親世代から伝え聞いた人たちが、戦争を知らない子どもたちに伝え継ぐ活動をこつこつと継続。その活動に今年は釜石高校の生徒が加わった。同市大渡町の釜石小学校(五安城正敏校長、児童62人)で7月3日に行われた戦禍を語り継ぎ、次世代に平和のバトンを託す授業を紹介する。
 
 釜石小では、市教委が推進する「いのちの教育」の一環で戦災という地元の歴史を学び、命を尊重する心を育む。今年も、市内の小学校などで活動する読書サポーター「颯(かぜ)・2000」(千田雅恵代表)による紙芝居や絵本の読み聞かせがあり、6年生11人が耳を傾けた。
 
 釜石への艦砲射撃は1945(昭和20)年7月14日と8月9日の2度あり、計5300発以上の砲弾が撃ち込まれ、少なくとも782人が亡くなった。「なぜ、釜石は狙われたのか」。概要を説明したメンバーの中嶋るみさん(67)が問いかけた。児童の答えは「鉄を作っていたから」。製鉄所があり、工業都市だった街。「武器をつくらせず、戦えないようにするため」に標的にされたことを改めて理解した。
 
釜石が受けた艦砲射撃の被害状況などを教える中嶋るみさん

釜石が受けた艦砲射撃の被害状況などを教える中嶋るみさん

 
 砲弾の大きさを実感してもらうため、中嶋さんは紙の模型を用意した。最も大きな直径40センチの16インチ砲は重さ約1トン。その重さを想像してもらおうと、メジャーリーガー大谷翔平選手の名を挙げ、「体重はほぼ100キロ。何人分かな?」と質問。艦船の全長については同校の校舎(横幅約80メートル)の2.5倍もあったことを説明に加えた。
 
 攻撃は海上からだけではなかった。艦載機が飛来、機銃掃射を繰り返した。「布団をかぶって逃げた。逃げる人を空から狙い撃ちする機銃掃射も怖かった。弾から逃れるために布団を持って逃げた」。中嶋さんは、かつて父から聞いたことを話した。「両親が亡くなっていたら、私は生まれていない。子ども、孫にも会えなかった。おじいちゃん、そのずっと前の代からつないできた大事な命、そして未来の命も奪うようなひどいことは絶対にしてはいけない」。強い気持ちを込めて訴えた。
 
颯・2000代表の千田雅恵さんの語りに聞き入る釜石小児童

颯・2000代表の千田雅恵さんの語りに聞き入る釜石小児童

 
 読み聞かせで取り上げた紙芝居「私の昭和20年7月14日」は、艦砲射撃で教え子を失った石橋巌さん(故人)が制作したもの。代表の千田さん(63)は「石橋さんが18歳の時に経験したこと、逃げ惑う人、防空壕(ごう)での様子が描かれている。凄惨(せいさん)な表現…怖かったり、気持ちの悪い表現があるかも。気分が悪くなったら耳をふさいでもいいから。無理のないように」と児童に寄り添いながら、ゆっくりと感情の込もった声で朗読した。
 
 「怖い、怖いと言って防空壕に向かって走りました。死ぬ、死ぬと言って逃げた記憶があります」。そう切り出したのは元メンバーで、4歳の時に艦砲射撃を体験した浅沼和子さん(85)。最近、退会したが「じかに経験したことを話すことで伝わることがあると思うから」と語り部は続けることにし、この日も同行した。
 
釜石艦砲射撃から逃れた記憶を伝える浅沼和子さん

釜石艦砲射撃から逃れた記憶を伝える浅沼和子さん

 
体験談に聞き入る児童。地元の歴史や平和に思いを巡らせた

体験談に聞き入る児童。地元の歴史や平和に思いを巡らせた

 
 「4歳の記憶って、特別なことがないと覚えていられないと思う。私は、これ(戦争)で本当に死ぬんじゃないかという思いをしました」
 「夏には花火がありますよね。ヒュー、ヒューと上がる花火。弾が飛んでくると、似たような音がするの。そして短時間でガラスが壊れて、いろんなものが倒れてきて…」
  
 脳裏に焼きついて離れることはない当時の記憶をたどった浅沼さん。太平洋戦争時の南の海の小さな島を舞台に特攻隊の若い兵士と小学生の交流を描いた絵本「すみれ島」の読み聞かせもした。「若い人たちには夢があったはず。かなえられず命を散らせる。戦争はむごい。絶対にしてはダメ。願い、希望がかなう世の中であってほしい」。口調は穏やかながらも、言葉には切なる思い、力が込もっていた。
 
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紙芝居を通して平和の尊さを伝えた(左から)古川明弥さん、川崎夏織さん、川崎由花梨さん

 
 釜石高3年の川崎夏織さん、古川明弥さん、川崎由花梨さんは、釜石艦砲をテーマにした探究活動の学びの成果を発表した。さまざまな文献を調べる中で、戦時中に釜石の捕虜収容所の所長を務めた故稲木誠さんの手記「降伏の時」を知り、「次世代につなぐ必要がある」と実感。手記を元にデジタル紙芝居を制作した。
 
 収容所の管理、捕虜の扱いに最善を尽くしたと考えていた稲木さんだが、終戦後、戦犯とされた。葛藤、苦悩し続けたというが、戦後30年がたったある日、元捕虜のオランダ人から1通の手紙が届いた。その手紙は稲木さんにとって“光”となり、その後、2人は文通を通じて友情を育んだ。
 
 「どんな時でも、人を人として扱うこと。それが戦争をなくす一歩なんだ」
 「戦争は人の心を曇らせ、人を傷つける」
 「だから、あなたたちは戦争を繰り返してはいけない。相手を思いやり、話し合うことを忘れないでほしい」
 
 戦時中、敵国の捕虜であっても大切に扱おうとできる限りのことをした。終生「人を守る心」を語り続けたという稲木さんが残した言葉を「平和のメッセージ」として子どもたちに届けた。
 
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戦時中の写真や戦争を題材にした本などに関心を示す児童

 
 さまざまな視点から戦争の歴史に触れた及川義規さんは「(戦争が)実際に起こったら怖い。『なんで戦争をする必要があるんだろう』ってなる。争いのない世界になってほしい」と強く願った。佐々木結音さんは「教科書だけでは分からないことをたくさん知れた。これからの勉強に生かしたい」と刺激を受け、感謝を口にした。
 
 颯・2000の協力もあって小学生に伝承する機会を得た高校生3人は「戦争の事実を情報として知るだけでなく、そこには人々の生活や気持ちがあったことが伝わればいい」「悲惨な証言もあったが、子どもが負担にならないような言葉を選んだ。前向きになるような表現を」「児童が真剣に受け止めてくれて、頑張ったかいがあった」と感想を話した。今回の学びを高校の後輩にも伝えたいと思っているようで、「さらに深めてもらえたら」と期待していた。
 
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歴史を語り継ぐ思いを強めた颯・2000のメンバー、釜石高の生徒

 
 釜石小では「戦争を身近に考えてもらう機会」として、颯・2000を招いた授業を継続したい考えだ。6年生は今年の市戦没者追悼・平和祈念式(8月9日)で献唱する予定。高校生3人も式の中で、今回の活動を踏まえ成果を発表する。

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