三陸鉄道リアス線全線開通、被災地の希望をつなぐ鉄路〜国内最長(163キロ)の三セク路線に
テープカットした三鉄の中村一郎社長(左)や達増拓也知事(右)ら
東日本大震災の津波で不通となったJR山田線釜石―宮古間(55・4キロ)は23日、第三セクターの三陸鉄道(本社宮古市、中村一郎社長)に移管され、8年ぶりに運行を再開した。三陸鉄道はこれにより大船渡・盛―久慈間163キロが一本のレールでつながり、「リアス線」と改称。第三セクターとしては国内最長路線として再出発した。
この日は釜石駅で出発式が行われ、三陸鉄道の中村社長が「交流人口の拡大、沿線地域の振興に役割を果たしたい」とあいさつした。渡辺博道復興大臣は「三鉄の復活は復興のシンボルとなる」と期待。釜石市の野田武則市長は「復興の象徴として三鉄を大事にしながら地域振興につなげたい」と決意を述べた。
全線開通を祝うテープカットに続き、一日駅長となった双子の園児、山﨑蒼依(あおい)ちゃん、蒼空(そら)ちゃんが右手を上げ、釜石駅の山蔭康明駅長とともに「出発進行」の合図。関係者のほか、公募で選ばれた一般乗客40人を乗せた4両編成の列車がホームから滑り出した。
釜石駅長とともに「出発進行」と手を上げる双子の園児
釜石駅のホームが望めるシープラザ釜石周辺は、一番列車を見届けようと大勢の市民が鈴なりに。列車が走り出すと大きな歓声がわき起こり、「復興の汽笛をありがとう」と記した横断幕を掲げて列車を見送る人もあった。甲子川の鉄橋周辺でも大勢の人が手を振り、三鉄の再出発にエールを送った。
友人3人と乗車した釜石市大平町の太田フジ江さん(71)は「沿線のみなさんに元気な生活が戻る第一歩になる」と期待。甲子町の前川ケイ子さん(77)は「紅葉の時期になったら久慈まで乗っていきたい」と胸を弾ませた。鉄道ファンで、震災後何度も三陸を訪れている埼玉県鴻巣市の会社員木村健さん(58)は「開通を喜ぶ沿線住民の笑顔に復興を感じる」と話した。
小旗を振り、記念の一番列車を見送る人たち=23日午前11時40分、釜石駅
三陸鉄道は1984年、国内初の第三セクター路線として開業。震災前は山田線を挟み、北リアス線(宮古―久慈)、南リアス線(盛―釜石)に分かれて運行していた。釜石―宮古間は震災の津波で鉄路が流され、7駅が被災。路線存続が危ぶまれたが、県や沿線自治体の強い要望を受け、JR東日本が鉄道を復旧。三鉄に移管する形で全線復旧にこぎ着けた。宮古市には新たに払川、八木沢・宮古短大の2駅が開設された。
24日からは通常運行が始まった。
「復興の汽笛をありがとう」横断幕で見送り 釜石駅
「復興の汽笛をありがとう」と記した横断幕も
久慈(久慈市)―盛(大船渡市)163キロを一貫運行する三陸鉄道リアス線が誕生した23日、釜石市内は歓迎ムードに包まれた。鈴子町のJR釜石駅前広場では開業記念イベントが開催され、食や音楽ライブなどのステージで盛り上げ。線路が見えるシープラザ釜石付近では小旗を持った大勢の人が記念列車を出迎えた。
イベントには県内20の飲食、物販団体が出店。肌寒い日でラーメンやちゃんこ鍋などが人気だった。ステージは釜石東中生8人による「つながった鉄路をみんなで盛り上げましょう」とのあいさつで開幕。釜石小の児童27人は元気いっぱい虎舞を披露した。東方飛龍君(釜石小6年)は「移動手段が増えるので良いと思う。お祝いを盛り上げられた」と充実感をにじませた。
線路が見える場所では住民や鉄道ファンが待ち構えた。11時40分、記念一番列車が出発すると、「祝・リアス線誕生」の小旗を振って見送った。
「かっこいい。乗りたい」と目を輝かせていたのは東京都から足を運んだ小学1年の田嶋俊輝君(7)。電車が大好きで、記念列車の乗車に応募したが、抽選で外れてしまった。母智子さん(45)は大槌町吉里吉里出身で、高校時代に利用した鉄路復活の喜びを味わおうと里帰り。滞在中に乗車を予定し、「田舎だから景色良さそう」と話す俊輝君との列車の旅を楽しみにしている。
大渡町の畑山佐津子さん(81)は試運転の様子に、わくわく感を高めていた。「汽車が走るのはやっぱりいいね」とにっこり。来訪者の増加を願い、現在取り組んでいる地域を花で彩る活動への意欲も強めた。
カメラ2台を持った盛岡市の斎藤収さん(68)は「開通をきっかけに、地元の活気や経済効果が高まるだろう。ブームで終わらせないことが大事。人にあふれる三陸のまちになってほしい」と期待した。
「待ってたよー」 両石駅
大漁旗や小旗を振り、記念列車を迎える住民=両石駅
「待ってたよ」―。三陸鉄道両石駅にも“生活の足”の復活を待ち望んでいた大勢の住民らが足を運んだ。午後1時19分ごろ、宮古駅を出発した記念列車が汽笛を鳴らしながら姿を見せると、小旗を持って迎え入れ。大漁旗がたなびくホームに笑顔が広がった。
震災の影響で車を手放した70代の女性は「列車が通るのは当たり前の風景。再開してもらって助かる」と実感。戸建ての復興住宅で暮らし、周りには新築の住宅も増えてきた。三鉄新路線の出発が復興と地域の力になると確信。「これからもっとよくなる。みんなと助け合いながら過ごしたい」と目を細めた。
新ホームに揺れる歓迎の小旗 鵜住居駅
釜石発の一番列車を大勢の人たちが歓迎した鵜住居駅
釜石発の1番列車は午前11時52分、津波で被災し再建された鵜住居駅に到着。8年ぶりの鉄路再開を心待ちにしていた地元住民や市外から駆け付けた鉄道ファンが、小旗を振って熱く出迎えた。
ホームでは横断幕や大漁旗、鵜住居虎舞で歓迎。釜石シーウェイブスRFCの選手らは、秋に同駅近くの釜石鵜住居復興スタジアムで開催されるラグビーワールドカップ(W杯)を「三鉄に乗って見に来て」とアピールした。
列車がホームに入ってくると周辺はお祝いムードに包まれた
盛岡市の高田桐以君(羽場小3年)は、この日のために旗を手作り。列車到着を前に「あと30分…。楽しみ」と胸を躍らせた。桐以君の祖父賢一さん(68)は震災以前に、妻の実家があった鵜住居に10年ほど暮らした。「被災直後の光景を思うと、みんな頑張ってくれて、ここまで来たんだなと実感する」と感無量。
大船渡市の盛駅近くに住む坂井美代さん(37)は、三鉄が大好きな2歳の息子、夫と鵜住居駅に。「列車が入ってくる姿にうるっときた。鉄道の復旧は気持ちが明るくなる話題。ぜひ久慈まで行ってみたい」と目を輝かせた。
震災前、同駅近くに自宅があった岩鼻新一郎さん(83)は「どこに家があったか分からないほど」と変貌を遂げた一帯を見渡し、「地域にとって鉄道は絶対必要。W杯後のフォローも住民自ら考えていかねば」と課題を見据えた。
国鉄に36年間勤務した鵜住居町日向の小笠原盛さん(90)は、山田線復活を強く望んできた一人。「8年も待った。乗客、乗員の喜ぶ顔、町民の歓迎ぶりを見ると本当に良かったと思う」としみじみ。世界遺産・橋野鉄鉱山と復興が進む根浜海岸を結びつけた観光振興を提言し、「鵜住居駅は拠点となる場所。『おらが三鉄』という意識で、沿線自治体が協力し合い盛り上げなければ」と話した。
(復興釜石新聞 2019年3月27日発行 第777号より)
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