三鬼隆の石像を移設、釜石地域の振興に貢献〜見つめた昭和園グラウンドは警察署に
移設された三鬼隆像の前で演奏する釜石中・釜石高生
東日本大震災後に仮設住宅の用地に充てられた釜石市中妻町の昭和園グラウンドの一角にある三鬼隆(1892~1952年)の石像が同グラウンドに隣接する新日鉄住金釜石製鉄所の接客施設「楽山荘」の近くに移設され、27日に完成を祝う記念式が行われた。昭和園グラウンドは長く、スポーツや地域の祭りなどで使われ、市民に親しまれた。仮設住宅はすでに撤去。今後、津波で被災した釜石警察署などが建設されることになっている。
釜石のスポーツ振興に尽力した三鬼隆の石像は、遺徳をしのび市民ら有志で結成された「三鬼会」が53年3月に同グラウンドに建立。釜石署などが建設されることに伴い、楽山荘前にある広場の一角に先月、移設された。
市が主催した記念式には85人が出席した。野田武則市長は「地域に貢献した三鬼氏とグラウンドの歴史を振り返りながら新しいまちの姿を目指し、市民とともに歩んでいきたい」とあいさつ。釜石中、釜石高生によるフルート演奏で移設を祝った。この日は楽山荘を一般開放。釜石茶道協会によるお茶会も催された。
中妻地域会議の佐藤力議長は「住民にとって欠かせないグラウンドで、数々のドラマが生まれた場所だった。新たな運動場の整備など今後のまちづくりがより良い方向に進んでほしい」と願った。
三鬼は、33年の昭和三陸津波で被災した釜石に心を痛め、住民の救済や復興にも尽力したと言われている。2011年の震災から復興に歩む釜石をどう思うか。新日鉄住金釜石製鉄所の米田寛所長は「グラウンドを見つめる位置に三鬼さんの像があるが、その視線の先には鵜住居が見えていると思う。復興の歩みを後押しするものとなる2019年ラグビーワールドカップに向け一致団結し、成功を願っているのでは」と話した。
■三鬼隆(みき・たかし)
盛岡市出身。大学を卒業後、田中鉱山に入社し、戦後、日本製鉄社長、八幡製鉄初代社長、日経連会長を歴任した。
釜石との関わりは1920年、田中鉱山釜石製鉄所に赴任したのが始まり。1年足らずで離任するも、28年に釜石鉱山釜石鉱業所の庶務課長として再び赴任する。当時製鉄所では労働争議があり、働く環境を整えるとともにスポーツを通じて従業員の融和を図ろうと考えた三鬼が率先して取り組んだのが同グラウンドの整備で、30年に開場。「正しく強く朗らかなスポーツ精神」との持論のもと、野球、剣道、陸上、水泳など各部の創設にも助力した。町議会議員も務め、地域全体の振興にも貢献したが、1952年4月9日、日航機「もく星号」の墜落事故で犠牲となった。
(復興釜石新聞 2017年5月31日発行 第592号より)
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