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	<title>かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす &#187; 復興釜石新聞アーカイブ</title>
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		<title>足音（川向修一 2021年3月31日 記）</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Apr 2021 02:30:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kamaishi_fp_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[復興釜石新聞アーカイブ]]></category>
		<category><![CDATA[地域]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; 　「復興釜石新聞」は、東日本大震災で紙ベースの広報手段を失った釜石市の広報行政の一端を担う形で、 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/bn_kamaishishinbun-ashioto.jpg" alt="足音（川向修一 2021年3月31日 記）" width="1200" height="800" class="alignnone size-full wp-image-26240" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　「復興釜石新聞」は、東日本大震災で紙ベースの広報手段を失った釜石市の広報行政の一端を担う形で、緊急避難的にスタートした。震災から３カ月後の２０１１年６月11日に創刊。当初は市内の全世帯に約１万８千部を無料配布した。14年11月から有料化。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、去年の４月後半からは通常週２回の発行を１回に減らしながら何とかこの１年をつないできたが、本日付で最終号を迎えることになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　10年前、新聞の顔となる１面のコラムのタイトルを何にしようかと考えた時、スッと頭に浮かんだのが「足音」であった。「復興への足音」という意味を込め、瓦礫（がれき）に包まれた暗いまちに少しでも明るさが見える「窓」のような存在になればと願った。できるだけ被災者の方々に、震災直後の混乱の中での生の思いをつづっていただこうと思い描いた。編集者が毎回下手な文章をひねり出すより、被災地で暮らす人々に心の内を丹念に刻んでもらった方が、復興へと足を踏み出す地域の力になるだろうと考えた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　１回目のコラムは岩切潤さん（釜石市芸術文化協会会長）にお願いした。「教訓は早めの行動」と題し、津波から間一髪で逃れ命拾いした経験を貴重な教訓として振り返ってもらった。その後、柏﨑龍太郎さん（釜石市社会教育委員）、中川淳さん（平田町内会元会長）が加わり、地域のご意見番として目指すべき復興のあり方を示唆。時には被災地の現状を憂う、厳しいエールと受け止めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　増田久士さん（釜石シーウェイブス事務局長）にはラグビーの現場から、その後釜石での開催が実現するラグビーワールドカップ（Ｗ杯）の機運醸成へ〝地ならし〞をしていただいた。柴田渥さん（松原町内会事務局長）は被災者の日常を女性の目線で的確に切り取り、佐々木道典さん（気象予報士）のコラムからは移ろう季節の匂いが感じられ、癒やされた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この10年、その時々の釜石の空気を日記のような形で残すことが弊紙の役割と考え、号を重ねてきた。紙面に刻まれた「何でもない日常」は、今後10年、20年を経た時に大きな意味をもつことになると願っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（かわむかい・しゅういち／釡石新聞編集長／釡石市住吉町）</p>
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		<title>「復興釜石新聞」からWeb 版「釜石新聞NewS」へ</title>
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		<pubDate>Wed, 14 Apr 2021 02:00:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kamaishi_fp_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[復興釜石新聞アーカイブ]]></category>
		<category><![CDATA[地域]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; 「復興釜石新聞」は、最終号となる930号をもって廃刊とさせていただきます。東日本大震災から３カ月 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/bn_news01.jpg" alt="「復興釜石新聞」からWeb 版「釜石新聞NewS」へ" width="1200" height="800" class="alignnone size-full wp-image-26244" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「復興釜石新聞」は、最終号となる930号をもって廃刊とさせていただきます。東日本大震災から３カ月後の2011年６月11日に創刊して以来、9年10カ月の長きにわたり愛読していただき、本当にありがとうございました。４月からはWeb版釜石新聞「釜石新聞NewS」として、釜石まちづくり会社が運営する「かまいし情報ポータルサイト～縁とらんす」内のコンテンツに移行されます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3 class="news">釜石まちづくり会社よりお知らせ</h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>NewSには一般的なnewsという意味のほかに、New Stage／New Step／New Style などの意味を込めています。復興釜石新聞の10年間をできる限りの形で引き継ぎ、新たな局面にあたっての新たな一歩を、新しい形で担って行きます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まずはWeb限定の媒体として、さまざまな形を模索していくことになりますので、Web版釜石新聞「釜石新聞NewS」を温かく見守って頂けますようお願いいたします。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4 class="news">【今後について】</h4>
<p>2021年4月15日までは、これまで通り釜石新聞社／電話 0193-55-4713 にお問い合せ下さい。<br />
&nbsp;<br />
4月16日以降の問い合せやご連絡は、以下の方法にてお願いいたします。なお、取材・記事執筆につきましては、釜石新聞の記者2名がWeb版「釜石新聞NewS」で引き続き担当いたします。<br />
&nbsp;<br />
<strong>＜取材に関する情報提供など＞</strong><br />
①電話番号（担当直通）　090-5233-1373<br />
②FAX 番号　0193-27-8331<br />
③ネットからのお問い合せ<br />
かまいし情報ポータルサイト～縁とらんす<br />
釜石新聞へのお問い合わせフォーム<br />
<a href="https://en-trance.jp/contact/" target="_blank">https://en-trance.jp/contact/</a>　　　　　　　<br />
④釜石市役所広聴広報課内のリリースBOX（「釜石新聞NewS」）への投函</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>＜広告掲載について＞</strong><br />
サイトおよび記事内への広告掲載につきましては現在新たに体制を整理中ですので、整い次第「かまいし情報ポータルサイト～縁とらんす」内にて周知いたします。</p>
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		<item>
		<title>唐丹町本郷 津波記念碑が震災遺構に〜国立民俗学博物館主導で補修</title>
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		<pubDate>Mon, 12 Apr 2021 05:10:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kamaishi_fp_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[復興釜石新聞アーカイブ]]></category>
		<category><![CDATA[防災･安全]]></category>

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		<description><![CDATA[津波記念碑を大震災遺構とする修復作業 &#160; 　東日本大震災で損傷した釜石市唐丹町本郷地区の明治三陸大津 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/shinsaiikou.jpg" alt="津波記念碑を大震災遺構とする修復作業" width="859" height="1200" class="alignnone size-full wp-image-26211" style="width: 400px;" /></p>
<p class="cap">津波記念碑を大震災遺構とする修復作業</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　東日本大震災で損傷した釜石市唐丹町本郷地区の明治三陸大津波記念碑「海嘯遭難記念之碑」の保存事業は、16日に完了した。大津波の波力や漂流物の衝突で欠損、失われた碑文の一部をそのままに、残った板面を補強、接着し直す作業により、市内では珍しい石碑の「東日本大震災遺構」となり、後世に大災害を伝承する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この津波記念碑は１８９６（明治29）年６月15日に発生した三陸大津波の被災から三十三回忌に当たる１９２８（昭和３）年、地元住民の発案で建立された。一部はコンクリート基礎に埋め込まれた石碑の地上高は２７０センチ、幅１６０センチ、厚さ１５５センチのくさび形の自然石。上部に標板（横70センチ、縦35センチ）、碑文は縦１メートル、横75センチ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　全文２６３文字の碑文は、大津波の発生（旧暦５月５日の端午の節句）、流失家屋３００戸、犠牲者８００人で、生存者20人の壊滅的な被害のほか、未来に伝え続けるよう強い思いを刻んだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　本来の建立地は南に約１１０メートルの地点だが、２００８年に道路改良工事に伴い現在地に移転。１９３３（昭和８）年の三陸大津波、10年前の震災を伝える「伝えつなぐ大津波」と並ぶ。浮き彫りの銘板、刻字した碑文の基盤はアスファルト状の素材という珍しい形式だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　震災の津波で、碑文が欠損。残存部分は接着面の劣化で浮き上がり、多数の亀裂もあった。保存事業は、それらを修復し、半永久的に残す目的で行われた。全面的な「復元」ではなく、損傷したまま残す「震災遺構」とした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　事業主体は「伝承碑修復事業実行委員会」で、本郷町内会の小池直太郎会長を会長に、市、唐丹地域会議（佐々木啓二議長）、釜石観光物産協会などで構成。公益財団法人東日本鉄道文化財団も参加し、事業費約１００万円の半額を助成した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　修復は国立民族学博物館（大阪府吹田市）の日高真吾教授（文化財保存科学専攻）が主導し、京都府の専門業者文化創造巧芸（和高智美代表）が参加。剥離、回収した断片を持ち帰り塩抜き。パーツを炭素繊維で固定し、本郷に持ち込んだ。16日まで３日間かけて元の位置に接着、前面の亀裂にパテを埋めて完了した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　日高教授（49）は「記念碑には建立当時の人々の『伝え、残したい』という強い思いが込められており、感動した。三十三回忌まで建立の時間がかかったことに復興の苦難を感じる」と語った。小池会長（74）は「記念碑が震災の遺構となることは大事だ」と意義を強調した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　同博物館では「復興を支える地域文化～３・11から10年」展を今月４日から５月18日まで開催中で、同記念碑の原寸大レプリカと、同博物館が復興を支援した釜石市の南部藩寿松院年行司支配太神楽、大槌町の大槌虎舞など６団体の衣装が展示されている。</p>
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		<title>ホテルに変身「室浜の宿」、片岸町室浜〜海と食を楽しむ、運営会社「癒しの場所に」</title>
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		<pubDate>Mon, 12 Apr 2021 03:17:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kamaishi_fp_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[復興釜石新聞アーカイブ]]></category>
		<category><![CDATA[地域]]></category>

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		<description><![CDATA[片岸町室浜地区で建築工事が進む宿泊施設「オーシャンＶ」 &#160; 　釜石市片岸町室浜地区で新たな宿泊施設「 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/murohamanoyado_01.jpg" alt="片岸町室浜地区で建築工事が進む宿泊施設「オーシャンＶ」" width="1200" height="800" class="alignnone size-full wp-image-26205" /></p>
<p class="cap">片岸町室浜地区で建築工事が進む宿泊施設「オーシャンＶ」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　釜石市片岸町室浜地区で新たな宿泊施設「オーシャンＶ」の建築工事が進んでいる。地域で親しまれた民宿「室浜の宿」が、景色と食を楽しむホテルに変身。医療センターや老人介護施設などを運営する医療法人中庸会（花巻市、似内裕理事長）の関連会社で、健康づくり事業を手掛ける創健舎（同、菊池寛一社長）が事業を展開し、「癒やしや英気を養う場に」と期待を込めている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　高台にある室浜の宿は東日本大震災で津波の被害を免れ、近隣住民の炊き出し会場となった。鵜住居地区周辺の復興工事が始まると、作業員らが宿泊先として利用。復興を下支えする役割を果たしてきたが、２０１９年の台風19号で裏山の崖が崩れて建物が全壊、従業員にも負傷者が出た。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　震災時の経営者が営業譲渡を考えていることを耳にした同社が、12年に宿を取得し、運営を継続。台風による被災で営業を断念する考えもあったが、当時の管理者から「もう一度ここで」と再起を願う声があったことから、ホテルという新しい形での運営を決めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ホテルは３階建て（延べ床面積４１９平方メートル）で、今年１月中旬に着工した。１階部分は鉄筋コンクリート造りになっていて、今後崖崩れが発生しても建物に被害が出ないように配慮。２、３階は木造で、木のぬくもりを感じてもらえるようにする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　和洋の客室10室、食堂、男女別の湯などを整備。５月上旬のプレオープンを目指し、工事を進めている。数人の地元雇用を予定。建設費の一部に釜石市地域企業再建支援事業補助金を活用している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　22日は似内理事長、菊池社長、施工会社のタクミホーム（八戸市）の木村昌義社長らが釜石市役所を訪問。建設の経緯などを聞いた野田武則市長は、地域資源の再生に期待感を示した＝写真。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/murohamanoyado_02.jpg" alt="murohamanoyado_02" width="1200" height="707" class="alignnone size-full wp-image-26206" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　宿から見える大槌湾の景色にほれ込んだ似内理事長。医師でもあり、患者らの療養地としての活用を視野に入れる。最近の道路整備状況を踏まえて内陸と沿岸をつないだ「医療ツーリズム」の展開も見据え、「釜石のおいしいものと合わせ、息抜きをする場所に。復興、海の大事さや怖さを感じる場にもなれば」と願う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　木村社長もコロナ禍を受け、県内観光に注目。「三陸をイメージでき、復興のシンボルになる施設。マイクロツーリズムの拠点に」と先を見通す。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>「釜石桜満開牡蠣」水煮缶詰販売開始〜煮汁も格別 食べ方自在に、水産振興組合 挑戦を形に</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Apr 2021 02:54:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kamaishi_fp_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[復興釜石新聞アーカイブ]]></category>
		<category><![CDATA[産業･経済]]></category>

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		<description><![CDATA[販売開始を前に関係者が市長に報告 &#160; 　釜石市片岸町の室浜海域で養殖される国内最大級の大粒牡蠣（かき [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/sakuramankaigaki_02.jpg" alt="販売開始を前に関係者が市長に報告" width="1421" height="709" class="alignnone size-full wp-image-26179" /></p>
<p class="cap">販売開始を前に関係者が市長に報告</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　釜石市片岸町の室浜海域で養殖される国内最大級の大粒牡蠣（かき）「釜石桜満開牡蠣」が、今シーズン新たに水煮缶詰として登場。12日から販売を開始した。同牡蠣の販路開拓を担ってきたかまいし水産振興企業組合（三塚浩之代表理事）が、コロナ禍の先を見据えた販売戦略として事業化。新商品を武器に、釜石ブランドの味を一層アピールする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一箱３缶入りを５４００円（税込み）で販売。１缶には平均約４粒が入る。ネット通販のほか、首都圏を中心とした同牡蠣のサポーター飲食店、鮮魚店で購入可能。釜石市内では魚河岸テラス２階のレストラン「ＨＡＭＡＹＵＩ」で販売される。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　缶詰で目指したのは、人気の蒸しガキの再現。無添加で、余計な味付けをしない素材本来のうまさにこだわった。パスタや炊き込みごはんなど食べ方は自由自在。煮汁も格別だという。常温で３年間の保存が可能で、季節を問わず旬の味を楽しめる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/sakuramankaigaki_01.jpg" alt="うまみたっぷり！「桜満開牡蠣」水煮缶" width="1200" height="1259" class="alignnone size-full wp-image-26178" style="width: 300px;" /></p>
<p class="cap">うまみたっぷり！「桜満開牡蠣」水煮缶</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　同牡蠣は春の抱卵前の栄養豊富で身が肥えたマガキを２０１０年に商品化。11年の東日本大震災で漁場は壊滅的な被害を受けたが、各方面の支援で釜石東部漁協の漁師佐々木健一さん（48）、佐々新一さん（54）がカキ養殖を復活させた。生産者、消費者、飲食店を結ぶ新たなネットワーク「里海プロジェクト」で全国にファンを増やしてきたが、16年の台風10号で再び被災。再再起を果たし、軌道に乗り掛けた矢先、今回のコロナ禍に見舞われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　今シーズンは水揚げ予定の１万５千個のうち、１万個を缶詰加工する。陸前高田市のタイム缶詰に製造を依頼した。これまでに２００箱を出荷。最終的に約８３０箱の販売を見込む。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　三塚代表理事は「地元水産物をもっと価値あるものに変えたい。いろいろな挑戦のきっかけになれば」と話す。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>「橋野鉄鉱山」見学受け入れ再開〜世界遺産登録から7年目、不運続きも「今年こそ」</title>
		<link>https://en-trance.jp/news/kamaishishinbun/26170.html</link>
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		<pubDate>Thu, 08 Apr 2021 06:12:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kamaishi_fp_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[復興釜石新聞アーカイブ]]></category>
		<category><![CDATA[観光]]></category>

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		<description><![CDATA[シーズン入りし、観光客増に期待がかかる「橋野鉄鉱山」 &#160; 　釜石市橋野町の「橋野鉄鉱山インフォメーシ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/hashinotekkouzan-kengaku01.jpg" alt="シーズン入りし、観光客増に期待がかかる「橋野鉄鉱山」" width="1200" height="800" class="alignnone size-full wp-image-26171" /></p>
<p class="cap">シーズン入りし、観光客増に期待がかかる「橋野鉄鉱山」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　釜石市橋野町の「橋野鉄鉱山インフォメーションセンター」は、昨年12月９日からの冬期休館を終え、20日から開館。祝日と重なった初日は天候にも恵まれ、県内外から観光客が訪れた。２０１５年７月の世界遺産登録から７年目を迎える今シーズン。新型コロナウイルス感染症の影響はまだ続くが、各種予防対策を徹底しながら、見学者を受け入れる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　同センターは積雪が増える冬期は休館。例年４月１日から開館するが、今年は雪解けが進んだことで、10日ほど早く開館した。高炉場跡は一部に雪が残るものの、見学には支障がない状態。20日は県内陸部のほか、愛知県東海市などから見学者が訪れた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　福岡県北九州市の大学生藤井智寛さん（22）は、同市職員の父智靖さん（58）が復興支援で14年から１年間釜石市に派遣された際、初めて同所を見学。今春の大学卒業を控え、「もう一度見たい」と足を運んだ。「高１の夏に連れてきてもらった。それまで日本の製鉄の発祥は地元の八幡製鉄所だと思い込んでいたので衝撃だった」と振り返る。八幡製鉄所は橋野鉄鉱山同様、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。「距離は遠いが、父が仕事をさせてもらった縁もあり、自分の中で釜石は割と近い存在。空気感は北九州と似たところがある。機会があれば釜石に住みたい」と親しみを示した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/hashinotekkouzan-kengaku02.jpg" alt="センターを訪れた見学者に説明する藤原信孝さん（左）" width="1200" height="800" class="alignnone size-full wp-image-26172" /></p>
<p class="cap">センターを訪れた見学者に説明する藤原信孝さん（左）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　同センタースタッフで釜石観光ガイド会員でもある藤原信孝さん（72）は「世界遺産登録以降、台風被害やコロナ禍など不運続きだが、今年こそは本来の良い環境で見学者を迎えられたら」と期待。三陸ジオパーク認定ガイドの資格も新たに取得しており、「歴史だけでなく、鉱石産出地、鉄ができる還元の仕組みなど自然科学的視点からも理解を深めてもらえるような話ができれば」と意欲を見せる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　同センターは12月８日まで開館予定（午前９時半〜午後４時半）。期間中は無休で、入館料は無料。４月１日からは釜石観光ガイド会員１人がセンターに毎日常駐し、希望者へのガイドを行う（有料）。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>葛藤乗り越え内陸移住、諸事情抱え 苦渋の決断〜釜石市から13世帯入居、盛岡・南青山アパートへ</title>
		<link>https://en-trance.jp/news/kamaishishinbun/26163.html</link>
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		<pubDate>Wed, 07 Apr 2021 08:39:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kamaishi_fp_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[復興釜石新聞アーカイブ]]></category>
		<category><![CDATA[地域]]></category>

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		<description><![CDATA[震災から10年ー。釜石市で被災し、盛岡市の「南青山アパート」に入居した住民ら。支援員とともに &#160; 　 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/nairiku-iju01.jpg" alt="震災から10年ー。釜石市で被災し、盛岡市の「南青山アパート」に入居した住民ら。支援員とともに" width="1200" height="735" class="alignnone size-full wp-image-26165" /></p>
<p class="cap">震災から10年ー。釜石市で被災し、盛岡市の「南青山アパート」に入居した住民ら。支援員とともに</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　東日本大震災の被災者向けに建設された県内の災害公営住宅のうち、最後に完成した盛岡市の「県営南青山アパート」（４棟99戸）を19日、野田武則釜石市長が訪問。釜石市で被災した入居者と懇談した。盛岡、滝沢市など内陸部で避難生活を続け、震災から10年となる今年、新たな住まいを得た住民ら。懇談では、古里を離れる決断をしたそれぞれの事情を明かし、新天地での生活に希望を託した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　同アパートは昨年12月に完成。２月11日から入居を開始した。釜石市によると、同市で被災し入居するのは13世帯25人。11世帯が既に入居し、２世帯は３月末の入居を予定する（19日現在）。19日の懇談は、同市が住民交流会として企画。敷地内にある集会所「森のテラス」に入居済みの５世帯７人が集まった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　盛岡への居住を決めた理由として挙がったのは、医療や交通、後継者の問題。「家族が病気を抱え、近くに設備の整った医療機関が必要」「いざという時、すぐに子どもたちと行き来できる交通の利便性」「子どもたちが独立し、釜石に自宅を再建しても継ぐ者がいない」。当初、釜石に戻ることを考えていた人たちも、年月を重ねる中でさまざまな事情が生じ、将来を見据えての選択となったという。震災時、迫る津波を目の当たりにした女性は「川の流音や電車の音にも恐怖を感じてきた。やっぱり海の近くには住めない…」。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/nairiku-iju02.jpg" alt="交流会では野田市長が釜石出身の住民らの思いを聞いた" width="1200" height="754" class="alignnone size-full wp-image-26166" /></p>
<p class="cap">交流会では野田市長が釜石出身の住民らの思いを聞いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それでも古里釜石への思いは強い。「向こうに行くと深呼吸した時に潮の匂いを感じる。やっぱり、いいなぁって思う」「釜石に足を運ぶと必ず何か買って帰る。『釜石頑張れ』という気持ちだけはずっと変わらない」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　内陸に来てから世話になった人たちへの感謝も口にし、「いつまでも甘えてはいけない。これから自分たちで前向きに頑張っていく」と話す人も。心の復興はまだまだ続くが、安住の地で各自の人生を生き抜くことを誓った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　住民らの話に耳を傾けた野田市長は「この地を選んだのは一つ意味のある選択。健康に末永く暮らしてほしい。今後も皆さんの要望に応えられるよう努力していく」と寄り添った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　片岸町室浜の自宅を津波で失った佐々順子さん（74）は、持病があった母リワさん（当時93）のため、震災直後、夫正弘さん（73）の出身地盛岡市に避難した。残念ながらリワさんは震災の翌年５月に他界。同年、順子さんも大きな手術を経験したことから、独立して盛岡にいる息子家族とも相談し、盛岡に残ることを決めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　あれから10年―。「箱ものはちゃんとできて生活はしていくが、誰しもが心の中に傷を持つ。帰りたくても帰れない。みんな同じ気持ちだろう…」。生まれ育った釜石のことは人生が終わるまで決して忘れることはない。「みんなで声を掛け合ってやっていこう。ゆっくりと一歩一歩かな」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　正弘さんは「ここに住むにもいろいろ葛藤があった。本当の生活はこれから」。夫婦二人三脚で今後の人生を歩む。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>活動終了の釜援隊に感謝状〜官民協働、復興まちづくりへの貢献たたえる</title>
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		<pubDate>Tue, 06 Apr 2021 03:14:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kamaishi_fp_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[復興釜石新聞アーカイブ]]></category>
		<category><![CDATA[地域]]></category>

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		<description><![CDATA[感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら &#160; 　釜石市は18日、本年度末で活動 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/04/kamaentai.jpg" alt="感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら" width="1296" height="800" class="alignnone size-full wp-image-26155" /></p>
<p class="cap">感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　釜石市は18日、本年度末で活動を終える釜石リージョナルコーディネーター（復興支援員、通称・釜援隊）の感謝状贈呈式を市役所で開き、官民協働による地域の課題解決、復興まちづくりへの貢献をたたえた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　釜援隊は総務省の復興支援員制度を活用し２０１３年に導入。８年間に商社や国際機関、マスコミなどで勤務経験のある29人を受け入れた。本年度まで活動を継続したのは11人。市と住民や企業、ＮＰＯなどとの調整役としてまちづくりを支えてきた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　贈呈式には隊員９人が出席。野田武則市長が感謝状、復興支援などへの感謝を伝える市の「サンキューカード」をそれぞれに手渡した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　由木加奈子さん（活動期間約３年）、遠藤眞世さん（同６年）は復興住宅自治会設立など地域連携支援に取り組み、多様な人との出会いや協力で「自分にできる復興支援を実現できた」と振り返った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　Ｕターン者の若林正義さん（同５年）、常陸奈緒子さん（同８年）は食ブランド開発、高校生の地域活動参画などを支援。古里の未来づくりに役立つ活動に充実感をにじませた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まちが復興する歩みに関わることで人生観を変化させた人も多い。今回活動を終える11人はみな、釜石に残り地域を見守る決断をした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　震災伝承をテーマに活動した藤沢康雄さん（同３年）、漁業振興に携わった佐藤啓太さん（同４年）、漁業の担い手育成支援などを進めた斎藤孝信さん（同５年）、林業の人材育成支援などを手掛けた手塚さや香さん（同７年）は関連する活動を継続。「交流人口をつくる取り組みを推進したい」「地域を活性化させたい」と思いを新たにする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　隊長としてマネジメントに力を注いだ二宮雄岳さん（同７年）は「持続的なまちづくりを進める人づくりを地域の皆さんと頑張っていきたい」と意欲を高めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　野田市長は「復興に果たした役割は大きい。それぞれの思いをつないでほしい」と今後の展開に期待した。<br />
　久保竜太さん（同６年）、花坂康志さん（同５年）には後日、感謝状が贈られた。</p>
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		<title>「まつばら会」100回で終了、住民の孤立防止に貢献〜語らいを復興の原動力に、つながり継続を誓い合う</title>
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		<pubDate>Fri, 26 Mar 2021 02:33:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kamaishi_fp_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[復興釜石新聞アーカイブ]]></category>
		<category><![CDATA[地域]]></category>

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		<description><![CDATA[最後の「まつばら会」で10年の歩みを振り返る参加者 &#160; 　釜石市の松原町内会（八幡徹也会長）が東日本 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/03/matsubarakai.jpg" alt="最後の「まつばら会」で10年の歩みを振り返る参加" width="1200" height="651" class="alignnone size-full wp-image-26084" /></p>
<p class="cap">最後の「まつばら会」で10年の歩みを振り返る参加者</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　釜石市の松原町内会（八幡徹也会長）が東日本大震災後、開いてきた昼食会を兼ねた懇談の場「まつばら会」が、１００回の節目を機に終了することになり、10日、最後の会が松原地区消防コミュニティセンターで開かれた。この10年、月１回ペースで集まり、住民らの心のよりどころ、復興の原動力としてきた同会。参加者からは感謝の声が聞かれ、つながりの継続を誓い合った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まつばら会は震災直後から同センターに開設された避難所が８月で閉鎖後、市内各所の仮設住宅に散らばった被災住民から「松原に帰りたい」「みんなと顔を合わせて話をしたい」などの声が上がり、町内会が企画。２カ月後の10月から毎月10日（お盆の８月を除く）を開催日とし、住民女性手作りの昼食を囲みながら懇談する場を設けた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　同地区の復興工事に携わる業者、市の関係部署から担当者に来てもらい意見交換をしたり、レクリエーションなどを楽しむことも。参加者は多い時で約40人を数えた。</p>
<p>&nbsp;&nbsp;</p>
<p>　年数を重ねる中で、他地区に自宅を再建する人、中心市街地の災害公営住宅に入居する人も多く、近年の参加は町内在住者を中心に毎回15人ほど。新型コロナウイルス感染症の影響で、集団での会食が難しくなったこともあり、震災10年、１００回を区切りに終了を決めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　10日は来賓を含め19人が参加。住民からは「会があったおかげで今まで元気に過ごせた」「被災から立ち上がる力をもらった」などの声があり、昼食作りに尽力したメンバーらに感謝の気持ちを伝えた。齋藤幸子さん（67）は「震災を機に住民の顔を知った。体調を崩し、会には半分ほどしか出られなかったが、開催には意味があったと思う」と振り返った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　運営の中心的役割を担ってきた柴田渥さん（74）＝同町内会事務局長＝は「毎月10日を楽しみにしてくれた人もいて、それが一番の宝。いろいろ考えたメニューを『おいしい』と食べてくれる姿にも感動。こんなに続くとは思わなかった」。会の終了に寂しさを覚えながら、「住民の高齢化が進む。お互いに見守り合えるような町内になっていければ」と願った。</p>
<p>&nbsp;&nbsp;</p>
<p>　松原町内会では震災で24人（関連死含む）が犠牲になった。震災前は２３０世帯、約５００人が暮らし、事業所も30ほどあったが、津波で全体の３分の２が被災。住民の帰還は進まず、現在は約90世帯の居住にとどまっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　八幡会長は「コロナ禍で外出自粛傾向にあり、ストレスもたまりがち。独居高齢者の孤独死も懸念される。今後はお茶っこの会のようなものを不定期でも開催し、住民の孤立を防ぎたい」と話した。</p>
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		<title>教訓伝承「てんでんこレンジャー」〜いのちをつなぐ未来館、顔出しパネルでアピール</title>
		<link>https://en-trance.jp/news/kamaishishinbun/26075.html</link>
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		<pubDate>Wed, 24 Mar 2021 03:21:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kamaishi_fp_admin]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[復興釜石新聞アーカイブ]]></category>
		<category><![CDATA[防災･安全]]></category>

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		<description><![CDATA[防災学習に活用してもらおうとワークブックや顔出しパネルを製作した関係者 &#160; 　釜石市鵜住居町の津波伝 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://en-trance.jp/wp-content/uploads/2021/03/tendenkoranger.jpg" alt="防災学習に活用してもらおうとワークブックや顔出しパネルを製作した関係者" width="1200" height="800" class="alignnone size-full wp-image-26077" /></p>
<p class="cap">防災学習に活用してもらおうとワークブックや顔出しパネルを製作した関係者</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　釜石市鵜住居町の津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」の名誉館長加藤孔子（こうこ）さん（63）＝盛岡市、岩手大教員養成支援センター特命教授＝や釜石出身の岩手大生らが、同館での防災学習に活用するワークブックを製作した。子どもに津波や防災をより身近に感じてもらおうと、災害から身を守るすべを分かりやすく伝える「てんでんこレンジャー」の顔出しパネルも設置。東日本大震災を経験していない世代が増える中、未来の命を守るための学習、教訓の伝承に力を注ぐ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ワークブックは３部構成で、「ステップ１」は釜石の歴史、過去の地震や津波被害を解説する。「２」は震災や釜石の防災学習などを紹介し、未来館ガイドの説明や展示物の内容を補足。「３」は学びを振り返るクイズなどを載せている。</p>
<p>&nbsp;&nbsp;</p>
<p>　同大地域創生モデル構築活動によって作成。震災を経験した学生や大学院生が執筆者として加わり、災害時に生かされた学習活動を伝えている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　同大大学院２年の岡道一平さん（24）は、母校釜石東中の防災学習を紹介する項目を担当。「次世代に伝えられる形として防災教育の一助になれば。津波、歴史に興味を持ち、学ぶ入り口にしてほしい」と願う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　箱崎町出身で、思い出が多く詰まった自宅を津波で失った。考えると心が重くなる震災だが、進む道を見つけるきっかけになったのも「あの日」。この春、社会人となり、まちづくりやインフラ整備に関わる仕事で貢献したいと気持ちを引き締めた。</p>
<p>&nbsp;&nbsp;</p>
<p>　顔出しパネルは見学後、振り返りの一助に役立ててもらうのが狙い。「自分だったら」と見学者それぞれに地域、周囲で起こり得る災害や備え、教えを考えてもらう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　製作に合わせて館内の展示も充実。震災時の釜石小の子どもたちの避難経路を詳しく示し、手記も紹介する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　加藤さんは「経験者の言葉はリアルで説得力がある。防災の力を子どもたちに伝え続け、未来の命を救っていきたい」と力を込めた。</p>
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