震災から8年半 津波で流され漂着〜釜石の漁船 沖縄で発見、中城海保から連絡


2019/09/11
復興釜石新聞アーカイブ #地域

沖縄の海岸に漂着した清昭丸(中城海保提供)

沖縄の海岸に漂着した清昭丸(中城海保提供)

 

 東日本大震災の津波で釜石市唐丹町から流された漁船が、沖縄県沖縄本島の海岸で見つかった。8月31日午前10時37分ごろ、中部太平洋岸の金武町の浜辺で、陸上を巡回中の海上保安庁第11管区海上保安本部・中城海上保安部の巡視艇「おきぐも」乗組員が発見した。船舶登録番号から、釜石市唐丹町字花露辺の漁業佐々木清文さん(74)所有の「清昭丸」(0・8トン)と判明した。震災で花露辺漁港から流失し、8年半をかけて約1900キロ離れた沖縄に漂着した。佐々木さんは「壊れてばらばらになったと思っていた。驚いた。写真で見る限り、船体はきれいだ」と感慨深そうに語った。

 

 震災時、この船は漁港に係留していた。多くの僚船とともに、大津波の引き潮にのみ込まれるように姿を消した。海抜15メートルほどの所にある佐々木さんの自宅は形を残したものの、全壊の判定を受けた。家族8人は避難して無事だった。

 

 復興事業で代わりの船の割り当てを受けたのは2年後。船名は同じ「清昭丸」にした。震災前と同様、ホタテ、ワカメ、コンブの養殖や磯漁を続けている。

 

 中城海保から清昭丸発見の連絡を受けたのは31日昼前。そのとき「まさか」と思わず口にした佐々木さんは、「大津波で消えた船は、どこかの岩場に当たり損傷して沈没したものと思っていた。8年6カ月も漂流して沖縄にたどり着くなんて、夢にも思わないこと」と驚く。

 

先代清昭丸の復活を願う佐々木さん

先代清昭丸の復活を願う佐々木さん

 

 清昭丸は2代目の持ち船で、18年前に手に入れた。「3人の子育てが一段落し、おっかあ=妻洋子さん(66)=も浜仕事に出始めたころに船を更新した。夫婦で一緒に苦労した船だから、思い入れはある。登録番号が残っていて、自分の船だと突き止められた。どのように漂流したのか、太平洋を右回りに半周したのか、何万キロかの長い旅だったかもしれない。運のいい船だ」と思いを巡らせた。

 

 沖縄に流れ着いた清昭丸について最近、現地の漁業者が引き取りを希望しているとの情報提供を受けた。佐々木さんは「明らかな損傷は船尾の外枠。浮力がとれれば、船は生き返る。自分の船はあるから、沖縄から持ち帰るつもりはない。廃棄されるより、修理して沖縄の浜の仕事にもう一度役立てば、船も本望だろう」と願う。

 

(復興釜石新聞 2019年9月7日発行 第822号より)

 

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