橋野鉄鉱山〝非公開エリア〟で見学会 鉱山労働者の労苦 肌で実感


2021/08/06
釜石新聞NewS #観光

鉄鉱石の採掘(露天掘り)が行われていた現場

鉄鉱石の採掘(露天掘り)が行われていた現場

 

 釜石市橋野町の世界遺産「橋野鉄鉱山」のうち、普段は一般公開されていない「採掘場跡」と「運搬路跡」の見学会が、7月24日行われた。市内を中心に18人が参加。険しい山道を往復し、人力で鉄鉱石を採掘して運んでいた約160年前に思いをはせた。

 

 見学会は、同鉄鉱山が「明治日本の産業革命遺産」(23資産)の1つとして世界文化遺産に登録された2015年から開始。16年の台風10号による豪雨被害で中止されていたが、昨年から再開された。

 

 参加者が目指すのは高炉場跡から南に約2・6キロの山中にある鉄鉱石の採掘場跡。市世界遺産課課長補佐の森一欽さんが案内した。二又沢川に沿って林道を進み、川が東西に分かれる付近で、採掘場跡がある西又沢上流に向かった。

 

採掘場跡を目指して険しい道を進む参加者

採掘場跡を目指して険しい道を進む参加者

 

人や牛が行き来していた運搬路跡をたどる。写真右側には急斜面が広がる

人や牛が行き来していた運搬路跡をたどる。写真右側には急斜面が広がる

 

 途中、高炉稼働時代に人や牛が鉄鉱石を背負って運んでいた運搬路跡にも足を踏み入れた。幅2メートルに満たない当時の道は、一歩間違えば谷に転落する危険な場所もあり、鉱山労働者の労苦を強く感じさせた。

 

2016年の台風10号豪雨被害を受け、通行不能になった道。ゲートの基礎部分がむき出しになっている

2016年の台風10号豪雨被害を受け、通行不能になった道。ゲートの基礎部分がむき出しになっている

 

 5年前の台風10号では西又沢上流部が決壊し、採掘場跡に通じる道の一部が大規模流失した。参加者はその被害も目にしながら進み、採掘場エリアにたどり着いた。この日見学した最も奥の採掘場は標高約900メートル。人力で岩を砕き、地表に出てきた鉄鉱石を採る「露天掘り」が行われていた。

 

 「日本で一番、鉄鉱石が採れる鉱山だったのが釜石。まだまだ良質な鉄鉱石はあるが、採算が合わないため、採掘はやめてしまった」と森さん。マグマの上昇で元々あった石が溶かされ、変成してできるのが鉄鉱石や銅鉱石。釜石では銅鉱石も採れ、釜石鉱山に大きな利益をもたらしたという。

 

採掘場跡で説明を受ける参加者。写真奥のさらに登った場所には切り立った岩の下に半地下式の採掘場跡が残る

採掘場跡で説明を受ける参加者。写真奥のさらに登った場所には切り立った岩の下に半地下式の採掘場跡が残る

 

付近の岩には磁石がくっつく部分があり、鉄分を含んでいることが分かる

付近の岩には磁石がくっつく部分があり、鉄分を含んでいることが分かる

 

 見学会では、後に使われたトロッコの軌道跡、甲子町大橋につながる坑道の入り口、坑道の発破用火薬を収納する火薬庫跡なども見ることができた。

 

 野田町の栗原蒼育君(小佐野小3年)は「鉄鉱石がある場所へ行くのは、あんなにつらいんだなと思った。昔の人はきっと筋肉ムキムキ!当時の鉄づくりはすごい」と驚きの表情。母希実子さんも「今とは比べものにならないぐらい根気や体力があったのだろう」と想像を巡らせた。熱心に話を聞く蒼育君に「釜石人として鉄の歴史への学びを深めてほしい」と期待した。

 

 雫石町の久保賢治さん(41)は「当時の採掘場が失われずに残っているのは世界に誇れること。現地に行って初めて分かる空気や雰囲気を感じると、より一層想像が膨らむ」と実感を込めた。

 

火薬庫があった場所には石垣が残り、足元には建物の壁に使われたれんがが散らばる

火薬庫があった場所には石垣が残り、足元には建物の壁に使われたれんがが散らばる

 

 橋野鉄鉱山の高炉場跡では7月9日から御日払所跡の発掘調査が始まった。9月ごろに一般向けの現地説明会を予定する。15日に開かれた市橋野高炉跡史跡整備検討委員会では、昭和20年代に建てられた山神社の鳥居の老朽化についても協議。修復する方向で検討していくことになった。

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