橋野鉄鋼山採掘場跡一般公開~世界遺産登録1年、150年前に思いはせ~

2016/06/20|カテゴリー:復興釜石新聞 観光

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明治40年代ごろまで使われた半地下式の採掘場跡も見学。入り口周辺の地形は非常に険しい

 

 昨年7月にユネスコ世界文化遺産に登録された釜石市橋野町青ノ木の「橋野鉄鉱山」で11日、普段は公開されていない鉄鉱石採掘場跡と運搬路跡の一般向け見学会が開かれた。昨年秋以来の公開で、市内外から25人が参加。先人たちが心血を注いだ約150年前の鉱山労働に思いをはせた。

 

 参加者は市世界遺産室係長の森一欽さん(文化財調査員)の案内で、高炉場跡から南に約2.6キロメートル離れた山中にある採掘場跡まで歩いて向かった。往路は二又沢の川沿いに続く林道をひたすら登った。二又沢は途中で東と西の沢に分かれており、採掘場跡は西又沢の上流に位置する。東又沢は甲子町大橋までつながっているという。登り進むにつれて、高炉場跡周辺で見られた花こう岩帯が、鉄鉱石を含む地層に変わっていき、採掘場が近づいてくると石の色の違いが見て取れた。

 

 幾つかの険しい坂と補助ロープが設置された急斜面を越えてたどり着いた採掘場跡は、標高約900メートル地点に位置。異形状の地形や作業場を確保するための土留めの石垣が、採掘で人の手が加えられたことを物語る。

 

 「ここでは地表に出てきた鉄鉱石を人力で砕いていく”露天掘り”が行われた。1基の高炉で使う鉄鉱石は1日4トン。鉄鉱石の層を求め掘り進めた」と森さん。現場に残る岩肌には磁石が付く部分があり、参加者が試して鉄鉱石の産出場所であったことを確かめた。

 

 橋野鉄鉱山での採掘は、大島高任が青ノ木に建設した仮高炉での操業に成功した1858(安政5)年から始まった。最盛期、高炉3基が稼働したが1894(明治27)年にすべて閉鎖され、以降は鉄鉱石の採掘のみが1979(昭和54)年まで継続された。

 

 露天堀り跡の近くには、切り立った岩の下に半地下式の採掘場跡もあり、入り口から様子をうかがった。このほか周辺では、後に行われる”坑道掘り”の発破用火薬を収納していた火薬庫跡、トロッコの枕木が残る軌道跡、ズリ捨て場なども見られた。

 

 復路は、牛や人が鉄鉱石や木炭を背負って運んでいた運搬路跡を通った。幅1.8メートルほどだったという平らにならしただけの道は、危険箇所もあり、当時の労苦を感じさせた。

 

 一関市の加藤國男さん(66)は「ただ歩いても険しいのに、なりわいとして行き来した昔の人々のたくましさには頭が下がる」と尊敬の念を抱き、「遺跡見学の楽しみは当時をイメージすること。説明を聞くと、なるほどと痕跡が分かり興味がさらに増す」と胸を躍らせた。

 

 奥州市水沢区の今野慎一さん(74)、光子さん(75)夫妻は共に釜石出身で、慎一さんの父は製鉄所勤務。慎一さんは「当時のままの姿が残されているようだった。たがねや金づちを使い手作業で掘ったかと思うと、ただただ感心するばかり」、光子さんは「幼いころから製鉄所になじんできた私たちにとって、鉄は身近な存在。その礎の場を見ることができた」と喜んだ。

 

 採掘場跡と運搬路跡の見学会は秋にも行われる予定。

 

(復興釜石新聞 2016年6月15日発行 第495号より)

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