島倉千代子さんの望みかなう 「お帰りなさい」根浜に、震災犠牲者 道しるべに

2016/04/07|カテゴリー:復興釜石新聞 地域

根浜海岸に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

根浜海岸に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑。優しいまなざしの島倉さんが被災地を見守る

 

 「あなたの帰りを待っている 変わらぬ心がここにある」――。昭和を代表する歌手、島倉千代子さんの歌「おかえりなさい」の一節だ。この歌詞を刻んだ歌碑が、釜石市鵜住居町根浜の旅館宝来館の裏山にある避難路入り口付近に建立され、島倉さんの誕生日の3月30日に除幕された。島倉さんは「この歌を東日本大震災の被災地で歌いたい」と望んでいたが、実現できないまま2013年に他界。その思いを形にしようと、関西地区のファンらでつくる島倉千代子後援会(事務局・大阪市吹田市、吉田恵美子代表、会員約150人)が中心となって建立した。除幕式には全国から約70人のファンが集合。歌碑が震災で犠牲になった人を迎え、いまだ行方が分からない人の道しるべになるよう祈りを込め除幕した。

 

 歌碑は白御影石製で高さ90センチ、幅約1・4メートル。表に歌詞を刻み、背面には島倉さんが優しくほほ笑むジャケット写真を配した。この日は作詞の友利歩未さん、作曲の杉村俊博さん、制作プロデューサーの境弘邦さんも駆け付け、島倉さんとの思い出を披露。「笑顔は人を集め、笑顔で歌えば人の心に伝わる歌になる。『歌で思いを伝えたい』と言っていた島倉さんのように笑顔で歌ってください」と助言を受け、集まったファンらは歌碑の前で声を合わせて「おかえりなさい」を歌った。

 

集まったファンらは完成した歌碑の前で歌声を合わせた

 

 「人生いろいろ」など多くのヒット曲を残した島倉さんは、2013年11月に75歳で亡くなった。「おかえりなさい」は07年の作品で、定年で職場から離れていく団塊の世代への応援歌として作られた。震災後、「帰っておいで」との歌詞が犠牲者や行方不明者へ向けた呼びかけのように感じた島倉さん。「被災地が落ち着いたら、『おかえりなさい』を歌いに行きたい」と周囲に話していたが、かなわなかった。

 

 この思いを聞いていた同後援会が歌碑建立を計画し、会員に寄付を募った。建立場所は吉田代表と親交があった鵜住居町出身の小松廣子さん(62)、義次さん(66)夫妻(花巻市)の仲立ちがあり、釜石を選択。震災で犠牲になった人に「お帰りなさい」、いまだ行方が分からない人に「帰っておいで」―と呼びかける歌碑を海の見える場所に建て、思いをつないだ。

 

 吉田代表は「東北で歌いたかった島倉さんの思いを知ってほしかった。きっと島倉さんもどこかで見ていて、『やるわね』と喜んでいると思う。歌碑が震災で今も行方の分からない人たちの道しるべになって帰ってきてくれたらいい」と感慨深げに話した。

 

 小松さん夫妻は退職後に住むため、廣子さんの実家近くに家を建てていたが、震災の津波で流失。実家も流され、両親も犠牲になった。廣子さんは「母が戻らないので悲しみは終わらないが、被災地の復興は一日ごとに進んでいく。変化するまちを多くの人に見守ってもらいたい」と目を潤ませ、義次さんは「この曲を聞くと、会社の同僚や知り合いなど何人もの顔が思い浮かぶ。亡くなった人だけでなく、事情があって古里に戻れない人もいる。歌碑をきっかけに、足を運んでくれる人が増えればいい」と願った。

 

 除幕式後、ファンらは宝来館で昼食を食べながら親交を深めた。神戸市の佐野慶子さん(68)と奈良市の西幸子さん(66)は「穏やかで暖かい日に、たくさんの人に見守られて除幕できてうれしい。(島倉さんは)雨降りの人だったから」と思いをはせていた。

 

(復興釜石新聞 2016年4月2日発行 第475号より)

関連情報 by 縁とらんす

http://en-trance.jp/news/kamaishishinbun/5512.html

島倉千代子さんの歌碑、根浜に〜震災犠牲者へ「おかえりなさい」の思い込め、除幕式は来年3月に | かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

昭和を代表する歌手の島倉千代子さんの歌碑が、釜石市鵜住居町根浜の旅館宝来館の裏山にある避難路入り口付近に建立された。
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