島倉千代子さんの歌碑、根浜に〜震災犠牲者へ「おかえりなさい」の思い込め、除幕式は来年3月に

2015/11/13|カテゴリー:復興釜石新聞 地域

根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

根浜海岸を望む場所に建立された島倉千代子さんの「おかえりなさい」の歌碑

 

 昭和を代表する歌手の島倉千代子さんの歌碑が、釜石市鵜住居町根浜の旅館宝来館の裏山にある避難路入り口付近に建立された。「東日本大震災の被災地が落ち着いたら、『おかえりなさい』を歌いに行きたい」と話していたという島倉さんは2013年に他界。果たせなかった思いを形にしようと、関西地区のファンらでつくる島倉千代子後援会(事務局・大阪市吹田市、吉田恵美子代表、会員約150人)が中心となり建立した。震災で犠牲になった人に「お帰りなさい」、いまだ行方が分からない人に「帰っておいで」―と、さまざまな思いが込められた歌碑の除幕式は来年3月30日、島倉さんの誕生日に行うことにしている。

 

 歌碑は白御影石製で高さ90センチ、幅約1・4メートル。2007年5月にシングル曲として発売した「おかえりなさい」の歌詞が刻まれた。背面にはそのジャケット写真を配し、優しいまなざしで見守る島倉さんを感じられるようになっている。

 

 「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」などのヒット曲で知られ、戦後の歌謡界に大きな足跡を残した島倉さんは13年11月8日、75歳で生涯を閉じた。生前の島倉さんの思いをつなげようと、吉田代表(65)ら4人が発起人となり歌碑建立に向けて後援会を結成。会員に寄付を募ったところ、約200万円の善意が寄せられ、建立にこぎつけた。

 

 「おかえりなさい」は定年で職場から離れていく団塊の世代へ向けた応援歌で、節目を迎えた人の心を優しく温めてくれる曲だという。この曲を被災地に届けたいと話していた島倉さんの思いを形にできる場所は―と考えていた吉田代表の脳裏に浮かんだのが、鵜住居町出身の小松廣子さん(61)、義次さん(65)夫妻だった。

 

 吉田代表は1988年に義次さんの転勤で吹田市へ移った廣子さんと知り合い、家を行き来するように。廣子さんが手作りしたアップルパイを島倉さんに届けたこともあったといい、島倉さんは廣子さんのことを「アップルパイさん」と呼び、会いたいと言っていたことを思い出した。

 

 小松さん夫妻は退職後に住もうと03年に鵜住居町新田地区の廣子さんの実家近くに家を建てていたが、震災の津波で流失。実家も流され、両親も犠牲になった。父親の岩崎正志さん(当時85歳)はすぐに見つかったが、母親のテルさん(同84歳)は行方不明のまま。退職を控えていた2年前、鵜住居町での再建を断念し、花巻市に移った。

 

 当初、小松さん夫妻の自宅があった場所に建てる計画だったが、「復興がいつになるか分からない。何もない場所よりは」と、廣子さんと親交がある宝来館の女将に歌碑の設置を打診。女将が快諾し、設置が決まった。

 

 歌碑の設置作業は10月27日から29日まで実施。東京都品川区にある島倉さんの墓を手掛けた稗田石材店(同大田区本店)が製作から請け負った。

 

 29日、設置を終えた歌碑の前には吉田代表、神戸市の佐野慶子さん(67)、奈良市の西幸子さん(66)、義次さんの笑顔があった。「ここが温かく『お帰りなさいね』と迎える場所。『ただいま』と帰る場所。歌詞がぴったりな場所」(吉田代表)、「千代子さん、きっと喜んでいる。みんなの協力でできたこと。ただ感謝。海が見え、自然が豊かで最高の立地条件。最高の幸せ」(西さん)。佐野さんは「寂しさもあるけど、ここで千代子さんに会える。千代子さんにもらった思いや友達を大事にしますね」と歌碑を見つめていた。

 

完成した歌碑の前で笑顔を見せる佐野さん、吉田代表、小松義次さん、西さん(左から)

完成した歌碑の前で笑顔を見せる佐野さん、吉田代表、小松義次さん、西さん(左から)

 

 義次さんは「関西の人が東北を訪れることは少ない。被災地以外の人がこの歌碑を含め被災地を見ることに意義がある。思いを寄せ、足を運んでもらう機会が増えれば」と願った。

 

 歌碑は現在ブルーシートで覆われており、来年3月に正式に除幕。除幕式は30日午前11時からの予定で、関西地区のほか九州や東京からもファンら約35人が駆け付けるという。

 

(復興釜石新聞 2015年11月7日発行 第434号より)

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